トートタロットって、グノーシスだったのですね!
トートタロットを見ながら思うのは、これはより本質ということ。そしてグノーシス。
それから見ると、ライダー版は人間くさいという感じ。キリスト教的で、教条的で、説教くさくて、道徳的な印象があって、前から、ライダー版に対して感じていたバランスの悪さの原因がわかったような気がしました。
トートタロットはよりイデアに忠実であろうとし、時にヌーソロジーに通じるような幾何学的な一貫性があるので、ストレートに心に響くんですね。
そういうことだったかと、今さらながら知った感じです。
最初にカードを見た時に感じた、ときめきとドキドキはグノーシスに直結してるからだったのかも知れません。
このカードを手に取った日に、一番最初、大アルカナから引いた一枚はThe Universeでしたが、その後、全てのカードから、さらに一枚引いた時に出たのが、カップの10、Satietyでした。
これらが、このカードと共に目指していくところなのだと受け取りました。
それとどうしても目に留まったのが、20番のThe Aeonでした。
これはライダー版では、Judgement、「審判、復活」にあたります。
ライダー版では、やはりユダヤキリスト教的な基準があって、ジャッジされるのを待つという立ち位置なんですね。
それに対して、トートタロットのThe Aeon「永遠」は、そこに至るべき目的地なのです。主体者がそこに至ろうとしていくものであって、まさにそれがグノーシスですね。
また、Aeonの図柄を見ていると、マクロとミクロの秘密を看破するという意味ではなかろうかと思えてきます。
マクロでありミクロであるということを知るということは、無限遠点を発見したということですから、トートタロットにおけるThe Universeはその先へ進んだところを示しているということだと思いました。
ふむ、このカードとなら、もう少し踏み込んでみたいと思いますね。
アリかナシかと、自分に問うたからこそ、これが目の前に現れたのだと思います。明日のトートタロットリーディング講座が楽しみです。
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