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垂直性を希求する蛇

昨日の原初舞踏の稽古の後、あまりにも眠くて不思議なくらいだった。それで、途中の道の駅に車を止めて、そこで仮眠することにしたのだけれど、思いの外よく眠ってしまったようで、目が覚めた時には東の空が白み始めていた。朝靄のかかった田園地帯の夜明けの風景はとてもきれいだった。

明るくなってから周囲を見渡してみて思ったのは、このあたりは昔は湿地帯だったんだろうということ。昨日の稽古のテーマが「蛇」だったので、この場所で一晩眠ることには意味があったような気がした。

昨日の稽古は、ある意味とても原初的で本質的で、古い古い記憶にアクセスしたような気がした。垂直性を希求する蛇のトライアンドエラーの記憶とでも言おうか。

カモメのジョナサンが普通のカモメの群れから飛び出し、スピードを追い求めたのもある種の垂直性への希求だったんだということに思い至る。

後のシェアで、蛇は仰向けに寝ないはずという人がたくさんいて驚いた。僕は何の違和感もなく、仰向けに寝た蛇だからこそ得られる視点と筋肉の動きが新鮮で面白かった。

その蛇が垂直性を求めたのは必然で、鎌首を持ち上げるように立つ蛇は、ある意味翼を畳んで垂直に空を突き抜けたジョナサンのようだと思ったのだ。

蛇は地を這い、カモメは低空をゆっくり飛ぶというのは、たぶん社会的には正しいことなのだろう。しかしごく稀に、仰向けに寝たり、背面飛行したり、垂直性を希求するものが現れ、場合によっては危険な存在として忌避されてきた。しかし、それでもなお垂直を求めることが踊るということの本質なのだろう。

垂直に突き抜けた時に人は狂う。そこに虚の次元があり、マイナスの価値があり、だからこそ本当の自由を得るということだ。それは理想的な老い、死にも通じることなのだろう。そしてその行程もまた差異と反復なのだ。往還するからこそその経験値は層となり強度となり、それこそが大地の発見に他ならない。

大地なくして人は生きることはできない。それは文字通りの土地ということだけではなく、自分自身が生きる根拠というようなものだ。

蛇が鎌首を持ち上げるために要した努力は、垂直性へのあくなき希求があったからこそで、彼はジャイロのような機能をも手に入れて、絶妙のバランスで立つことができるようになったわけだ。まさに踊りっぽいではないか。

そういえば、夢を見たんだった。

僕は道の脇に空いた穴を上から長いスコップのようなもので整えていた。そして穴の中に足場を確保してからその中に降りていき、さらに中に落ちている石やら木っ端やら瓦礫のようなものを整理して、穴の中で動けるスペースを広げようとしていた。

中はかなり広大で、どこまで続くかはわからないくらいに広い。上の方から、何バカなことやってるのという声も聞こえたけれど、一緒に穴に降りてくる人もいて、外の声は気にしないでいいなと思ったという夢。

目覚めて、車から降りたら、きれいな朝焼けの中、車の周りに猫が3匹寝ていた。どうやら、猫に囲まれながら僕は眠っていたようで、この大地がとても愛おしく感じられた。

さて、そろそろ家に帰ろう。

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