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世界一悲しい音楽
文学も映画も、ドキュメンタリーも、歴史上の出来事も、全て人間により表現されたり、記録されたりしてきたものの存在意義というのは、世界中で起こっているあらゆる出来事に対して、それらが自らの存在の結果なのだということを知ることができるような領域に意識を進化させるための、ある種の回路のような構造になっているのかもしれないということを思いました。
イカの目が必要以上に高度にできているということも、人間がいない場面においてもそこで起こることを知覚できうるということのためなのかもしれません。(イカの目についてはライアル・ワトソンの「未知への贈り物」を読んでみてください。)
いや、よくよく考えてみたならば、すべての人間、動物、生き物、植物、微生物の存在を介して、僕たち人間はこの宇宙を感じ、地球を感じ、そこで起こっていることを、かなり正確に知りうる存在ということが言えるのかもしれません。
周囲に「触れ」始めることで、空間は反転し始めるようです。これまでに見たり読んだりした、たくさんの映画や本を通して、僕たちが目撃してきたことというのは、実はすべて自分たちの内側で起こったことなのだということを受け入れる覚悟を決めることができたならば、もしかしたらそこから新しい何かが始まるのかもしれません。
バーバーの弦楽のためのアダージョを聴きながら、また「プラトーン」の映画のいくつかのシーンを見ながら、そんなことを思いました。
今起こっていることも、それに対してどう向き合うのか、どの位置から見るのかによって、全く違う経験をしているんだなと思います。後ろに意識を延ばすと言うことの意味もそういう所にもあるのかも知れません。
世界一悲しいと言われる音楽を聴きながら、そんなことを思いました。
Platoon Soundtrack - Adagio for Strings
https://youtu.be/kRCubAtPiKg?si=7wgoEQIb__aJDI4J