落下~横たわる~立ち上がる~動く
先週から、何度か原初舞踏の床稽古をひとりでやっています。昨日と今日は、落下するところから、最後ピアノレッスンの曲がかかるまで、MDに録音した音を使いました。
5分 落下する
10分 横たわる
10分 起き上がる
10分 動く
合計35分です。
そのうち、いくつか動画を撮って、あとで見るという感じにしたら、まるで稽古場で人の稽古を見るような感じで自分の動きも見ることができて、おもしろい時間を過ごせました。
何パターンも見ていると、上手く力が抜けたところとか、上手くいかなかったところとか、内側から衝動が起こって動き出したところと、意識が働いて動いたところと、やりながら起こっていたこと、感じていたことを反芻しながら、それらを外から見ることになるので、とてもおもしろかったです。
やっていると、感情が動いたときに、感情に巻き込まれたり、圧倒されたりするようなこともありえます。
ただ、何かが起こったとしても、その起こっていることを冷静に見ている自分がいれば大丈夫なんだなということも思いました。
昔、歌のレッスンを受けたことがありました。唄いたい曲の楽譜を探して持っていって、先生に見せたときに、この歌を選んだのはどうしてなのかということにずいぶん時間を掛けて掘り下げました。そして、さあ唄おうという段になって、それであなたはこの歌を誰に伝えたいの?と聞かれたのです。
ふっと父の顔が思い浮かんだのでそう答えたら、じゃあ、お父さんを目の前に浮かべて直接伝えるみたいに歌ってみてと言われ、歌い始めたら、ものの数秒で号泣してしまって、歌えなくなってしまったことがありました。
誰に向き合うのかということがとても大きなことなんだということを思い知った経験でしたが、号泣するような感情がたくさん残っていると、そのたびに大きく感情が動くわけですね。
昔なら、そういうところで感情にまかせて大きく動いてしまったりということもあったと思いますが、今は比較的穏やかに見ているという感じが強いです。穏やかに見ていられるということは、その問題に対して免疫ができてきたということですし、何度も見つめたからこそ、静かに見ていられるようになったとも言えますね。そのためにも何度も何度も繰り返すことが大事なんだと思います。
ちなみに、今はまだまだ動きすぎてるかも知れません。どうしてもバリの踊りの癖があるので、ついつい気持ちよく動いてしまいます。
でも、今はとにかく何度も何度も、いろいろやってみたいんですよね。グッと抑えてやってみたり、激しく動いてみたり、いろんなモードで動いてみたいです。
それにしても、こうして、自由にやれる時間が持てるということがありがたいです。そして、やはりこのように動くことが好きなんだなということを実感しています。
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