夢の記録
僕は本当によく夢を見ます。それを記録しては、自分なりに分析してみたり、解釈してみたり、時にはそれが大きな発見になったり、大きな変化のきっかけになったりします。
このノートでは書いたことなかったけど、今日見た夢は昨日のソーラーリターンとも関係していると思われるし、こちらにも書き残しておこうと思います。
まずは夢の概要はこんな感じでした。1度目覚めて、2度寝したので、夢も2部に別れてますが、どちらもお風呂に関する夢でした。
夢はやはり源泉に通じているんだろうと思います。
ここで出てきた三つ並んだ湯船と、そこに溜まりつつあるお湯というのも意味があるのでしょう。
三段階ということか、松竹梅ということか、ホップステップジャンプということか、わからないけれど、溜まりつつあるお湯を眺めながら、お湯が満ちるのを待つという時間の流れ方が、充実感あって、良い感じがします。
身体の中にも何か大事なエッセンスが流れ込んでくるようで、それはまさに今の自分の状態と言ってもいいのかもしれません。
でも、風呂入る時はズボンとパンツを脱がないといけませんね。スッポンポンになって湯船につかるべし、です。なんでズボンを履いているのか、不思議な感じもします。
目が覚めて夢を思い出したときに、なんとも不思議な感じがしたし、そんなにズボンを脱ぐことを避けてきたような感覚はないんだけど、実際、夢の中では、白いズボンを履いていたのは事実で、それを脱ごうとはしなかったんですよね。
そもそも白いズボンって何?なんだけど、思い返して、もしかしたらと思うのは、バリの踊りを踊る時の白いズボンってことかなと思い至りました。バリスにしてもジャウクにしても、トペンにしても、白いズボンは必須だったからです。
風呂に入ろうとして、いまだにその白いズボンを履いている自分に気がついたということなのだとしたら、これはメカールサリ(昔在籍していたバリダンスのグループ)の呪縛ということもあるのかもしれません。
素っ裸になることを許さないメカールサリって、今更ながらだけど、さもありなんと思うところはあるんだよね。
そのくらいに僕にとって、それはカルトと言っていいくらいの場所で、ドップリ浸かっていたと言えるのかもしれないなと今になって思います。
自分で自分の旗を立てるということのためには、もう白いズボンは脱がないといけないということなのかもしれないなと、思いました。
もしかしたら白いズボンを脱いだら、僕はもっと奔放に生きるようになるのかもしれないとも思うし、それはリスクもあるけど、そもそも履いたままでは始まらないんだよということなんですよね。
もうバリダンサーではないし、もしかして、この先踊るにしても、昔のようなスタンスでの踊りはしないと思うし、白いズボンを履く意味は実際にはないんだよね。やはり足枷的な意味はあったのかもしれないなとは思います。
一度尊敬し、師事した他者の存在は、簡単に脱ぎ捨てられないということかもしれないし、それはまだ自分の人生を始めていなかったということなのかもしれないなと思って、ここまで来ると、ちょっと愕然とするところはありました。
あああ、という感じ。まだ、そんなとこにいたのかという感じかな。でも、しょうがないですね。なんでもそうだけど、出てきたときこそが、まさにそのときですから。
うやうやしく、このことを受け入れて、ちゃんと宣言して、白いズボンを脱げばいいだけのことだと思います。
と、そんなことを反芻しながら、イメージの中で、ズボンを脱いで、パンツも脱いで、スッポンポンになって、かけ湯したら、気持ちよかったです。
それで湯船にゆっくりと浸かっていたら、そこが宇宙につながるエレベーターのようで、気がついたら天井をはるかに突き抜けて、しかるべき僕の居場所に収まっているというようなイメージになって、しっくりときた感じがします。
こういう夢がらみで出てくるイメージというのは、たぶんとても大事。本質をついているから、ちゃんと解釈できて、さよならできたなら、何か変わるのかもしれません。
夢は僕にとってとても大事な要素なので、これからは、こちらでも時々夢について書いていこうと思います。
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