「オブスクラ 舞の発生」から少し時間をおいて
いろんな人の感想を読みながら、断片的な記憶をつなげながら、公演終了後の、ただただ興奮していた状態から、だんだんと脱し始めているような気がする。
さっき、こちらの河城さんのポストを読んで、突然にすべてを忘却している自分、自分が何者なのか全くわかっていない自分ということに気がついて、愕然とした。
思えば、「舞の発生」とは人間が自らの出自を問うようなことであって、しかもそれを観念でどうこうというのではなく、身体を通して、微かな手がかりを求めて、実験を積み重ねていった結果、ようやくたどり着いた、帰結としての舞台だったのだ。
誰しも、何万年もの暗闇の中で、すべてを忘却し、またすべてから忘却されていたのだ。そのような状態で、突然に岩戸が開かれ、今という時代に放り出されてしまった。それが人間ということであり、そういう意味では我々はみな同行者なのだ。誰も本当には自分がなぜここにいて、どこに行こうとしているのかはわからない。
ほんとうは、その光を目撃することでようやく頭と尻尾が出会えたというような、まさにウロボロス的円環の完成の場面だったのかも知れない。
舞台下手の窓が開いて光と空気と音が入ってきた時、ある意味、観客は生まれ直しを、儀礼として経験したと言えるだろう。いや、踊り手としての最上さん自身も、混沌とした暗闇から、光のある世界へ生まれ直し、光が劇的に空間を変えていくところを見ておられたのだと思う。
僕の目からは最上さんがどんどん深化していき、みるみるうちに人間ならざるものに変化してしていくという事態に、恐怖を覚えながらも、それでもこれは絶対に忘れたくない、稀有な瞬間であるということを思い、必死になって目を凝らして見ていたことを覚えている。
そして最後の場面については特に忘れられない。生まれてきたことを本当によかったと思える瞬間だったし、その場面が永遠に続いてほしいと思った。
そして、人間はどこに向かおうとしているものなのか、なぜ「舞」が発生したのか、おぼろげながら見えてきたような気がした。