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新年会のテーマについて

新年会のテーマについても書いておこうと思います。踊りの前にこのような文章を書き、皆さんに読んでいただきました。

2025年1月12日 原初舞踏新年会
テーマ :もののあはれを知る〜Mekar Sari

秋頃、新年会の踊りについて考え始めた時に、昔やったバリスという踊りを取り入れたいと思いました。バリスはバリ島の男性舞踏であり、戦士の踊りです。それと同じ頃に「もののあはれを知る」という言葉にも惹かれたのですが、戦士は日本の古語では「もののふ」なので、そこにつながる何かがあるように感じていました。

「死につつ咲く花」の稽古をしたとき、花は「咲こうとする意志」を内に秘めているからこそ咲くことができるのだと知りました。その「決意のようなもの」こそが生命の源泉であり、それこそがバリスという踊りの本来の意味なのではないか、そんな思いが浮かんで来ました。そしてその稽古の中で、空間にはかつて咲こうと意志したものたちの痕跡が残っているとも感じ、それはまさに「もののふ」たちの記憶のように思えたのです。

その「もののふ」たちの生命の響きに心で触れることが「もののあはれを知る」ということなのかもしれないと思い至りました。本居宣長によると「あはれ」の「あ」は感嘆詞であり、「はれ」は「晴れ」であり、すなわち天晴れ(あっぱれ)のことでもあるようです。きっとこの「晴れ」は「花」にも通じるのだろうと思います。

新年会の当日の朝、「テーマ:もののあはれを知る」の横に手書きで「Mekar Sari」と書き添えました。

その日、予定よりかなり早くに目覚めてしまったので、布団の中で横になったまま、ずっと頭の中で踊りを反芻していました。そしてバリスは「咲こうとする意志」であると考えていた時に、このメカール•サリという名前の意味について思い出したのです。

メカール•サリというのは、昔活動していたバリ舞踏のグループ名ですが、今はもう存在していません。インドネシア語でMekarは「開く」、Sariは「花の髄、芯、軸」というような意味です。なので、メカール•サリを説明する時にはいつも、「花が開く」というような意味だと説明していました。

そこではたと気づいたのが、これはまさに「咲こうとする意志」のことではなかったのかということでした。Sariというのは「髄、芯、軸」と書きましたが、これの本質的な意味は「意志あるところ」であり、「生命の源泉」であり、「魂」であり、まさにそのまんま、「花が咲こうと意志する」というのが、メカール•サリの意味だったのかと思い至り、愕然としたのでした。

そういう意味では僕がこだわってやってきたことというのは、いつもいつも「咲こうとする意志」に触発されていたし、動機づけられていたし、そのためにバリスという踊りにも向き合い、取り組んできたのだと言うことに気がついたのです。

激しく速いバリの踊りと静かにゆっくりと動く原初舞踏とのギャップが大きく、それをどのようにつなげるか、どのように構成するかがとても難しく、なかなかうまくいかなかったのですが、意味がわかってきてからは、バリスの冒頭部から「死につつ咲く花」の踊りへの流れがとても自然につながるようになりました。

少し大袈裟かも知れませんが、あのバリスの激しさが形を変えて原初舞踏の表現をさらに動機づけ、活性化させるというような、なんというか錬金術的変換というようなことが起こったような気がして、このような形での統合こそが、今回無意識のうちにやりたかったことだったのかも知れません。

これは僕自身が過去にやってきたことの整理でもあり、再統合であり、これは今このタイミングでやっておかないといけないことだったのだと思いました。

というようなことも、新年会が終わるまでは五里霧中で何も見通せませんでしたが、今になってようやく少しずつ見えてきて、落ち着いてきたように思います。

それにしても新年会に向けての準備にたくさんのエネルギーを注ぎました。気がついたら、夏の頃に比べて体重が5キロ落ちていて、どうやら心身ともに大いにデトックスできたようです。

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