原初舞踏、最上和子さんの公演、映像版『妣が国』を見た感想を書いておきます。
昨年12月にレンタルという形で購入した動画の視聴の期限が迫ってきましたが、たしか今日か明日で最後の日ということだったと思うので、とっぷりと見ました。
もうすでに何回か見ていましたが、今回あらためて、空間の広がりを感じました。コロスが現れ、去っていった、海の彼方を感じながら、本当に海の前に一緒にいるような気持ちになりました。
集中して見ていたということ、原初舞踏での稽古の経験を重ねたということもあるのかも知れませんが、とても深い奥行きを感じました。
コロスの4人も本当に素晴らしく、青い海の向こうからの使者というような趣があり、そしてたしかなメッセージを携えてこちらにアクセスしてきたのだということが感じられて、最後4人が手を挙げて立っている姿を見ながら、前回の稽古の中で、扇子を上に掲げて立っていた神々しい姿がダブって見えました。それは本当に背筋がゾクゾクするような鬼気迫る場面でした。
そして、最上さんの登場から、最後、出てきた場所に還って行かれるところまで、本当に引き込まれました。
長い布を引きずりながら出てきて、それを脱いで、切り離して、成熟して、現世に再び還っていかれたのだと感じました。客席の間から出てきて、また客席の側に戻るということに、往還を感じます。
また、客席を舞台上に設置し、普通とは反対向きでの上演であったということも、踊るのはあなた自身ですよという、メッセージが込められているように感じます。ともに彼岸を見つめながら、そちらに至るための準備として現世での生活があるのだということを感じました。
そのようなプロセスを通るということが、ある意味生きるということの意味なのかも知れません。
引きずっていた長い布は胎盤のようでもあり、臍の緒のようでもありました。そこから出るところはサナギから蝶々が出てくるところを彷彿とさせますね。
今は新しい次元への扉が開いている時なのだとしたら、やはりこのように人生の中で引きずっているものを、見つめ、受け入れ、感謝しつつも、自らの手で解き、切り離し、そこから立ち上がるべき時なのかも知れません。
思えば、稽古の中で行われる、床稽古と同じですね。自分で立ち上がり、歩行し、踊り始めるというプロセスが、全ての人間が通るべき道筋なのだと思います。
そして、最後に流れる飯田監督の映像があることで、神話の世界から現世に我々を引き戻してくれる働きをしているようにも思いました。
その中で印象的だったのは、舞踏家のキムさんの以下の言葉です。
「3歳~5歳くらいのときって微妙なときで、その頃から人間になると思うんだよね。その頃初めて嘘をつくようになって、それで人間になる訳だから、それまでの時間って何か特別って言うか。。。」
いずれにしても我々は人間としてスタートしてしまったわけですからね。これまで生きてきた軌跡も受け入れながら、愛おしみながら、しかし必要な段階は踏んでいくという覚悟がいるのでしょうね。そんなことを思いました。
この作品、僕は現地には行きませんでしたが、こうして映像で見ることができただけでも、たくさんのものを受け取ることができたと思います。
そうそう、それと近藤監督の撮られた「コロス -彼岸と此岸をつなぐ者」もとても良かったです。この中の最上さんの言葉は書き起こして、時々読み返しております。
関係者の皆様、本当にありがとうございました。とても素晴らしい作品でした。
まだ時間があるので、このあとコメンタリーとコロスの方も見ようと思います。
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