三島由紀夫の肉体喪失
茂木誠さんと浜崎洋介さんが、三島由紀夫について話しておられるのを聞きました。
内的自己がじゅうぶん発達する前に、先に外的自己を発達させ、記号や言葉が入り込んでしまったのが三島由紀夫という人であったから、彼は肉体を喪失したままに、ずっとそれを探していたということなんですね。
いわゆる他者先手による自我形成というものが、どのような弊害、葛藤を生むのかということを彼の生き様から学ぶことができるのかなと思います。
同じく肉体に向き合うならば、外からの肉体ではなく、内側から身体空間を発見できるところまで行けたら、もしかしたらあのような死に方をせずに済んだのかも知れません。
三島由紀夫の問題が、実は太宰治のそれと同じであるという視点は、ちゃんと紐解いて、ちゃんと向き合って、その上で抱きしめてあげないといけないことだということを思いました。
もし身体空間を発見するために、舞踏の可能性の中に自ら飛び込んでいたならば、何か違いはあったのだろうかとも思います。
ただ三島は土方巽とは面識があったはずなので、舞踏は知ってはいただろうけれど、やはり土方巽の時代というものは、まだ身体については始まったばかりであり、時代的にもまだ未熟だったのだろうと思います。
そういう意味でも最上和子が一人で苦闘しながら導き出した原初舞踏ということの意味は計り知れないものがあると思います。普遍的な人類のテーマに対する真正面からの答えを、舞踏を儀礼として行うことで提示しているということが言えるのではないかと思うのです。