ようやく「踊りたい」と言えるようになったということかもしれない
こちらの動画を見て、湧き上がってきた言葉をまとめました。
ここまで明確ではなかったですが、この動画で書かれていることにけっこう近いことを僕も高校生くらいの頃から経験していて、その当時は特に知識もなかったので、なんだこれはと思いながら、そこで見えるものがとても美しかったし興味を惹かれたので、それを楽しんでいました。
ところが21歳の時、インドのバラナシでちょっと半端ない体験をしてしまって、それからどう落とし前をつけるのかと彷徨っていた時にバリの踊りに出くわしたのでした。
それからずいぶん時間が経ちましたが、何周もしてようやくいろんなことが整理されてきてるのかもしれません。
思えば、若い頃(20〜30代)には、とてもバランスが悪かったと思います。そういう意味では準備ができていないといいますか、破天荒なところもありましたね。
変にエネルギーに敏感でしたし、感情の力も強かったようで、自分の内側の葛藤と湧き上がる情熱に振り回されていたようなところがあったのだと思います。そんなわけで、社会適応性という点ではなかなか難しい道を歩いてきたようなところもあるのだとおもいます。
そんな感じで、ようやく今になって過去を振り返って笑えるようになってきたのかなというようなことを、この動画を見ながら思いました。
今朝、先のnoteで、仮面の稽古について書いたような、ポータルが開き、そこに顔を突っ込むというようなことが、実は今に始まったことではなく、すでにとっくの昔に始めてしまっていたことだったということをあらためて思います。だからこそ、最初の課題は「バリス」という難題だったのかもしれません。
こんなことを書きたくなったのは今朝目覚めてまだ布団の中で揺蕩っていた時に、ひさしぶりに何か死の前兆のような感覚がブーンとやってきて、その後とても鮮やかな光が見えて、とても懐かしかったということがありました。
そして今では安定してこのようなことを経験できるようになっているように思えたからです。あらためてそれを目の前に見て、さあどうすると問われたら、やはり踊るという選択が目の前にあるということはもはや必然なんだろうということを思いました。
とくに修行がしたいわけでもなく、悟りみたいなことが目的というわけでもなく、この「ときめき」を目の前に展開していきたいというだけのような気もします。それが踊りという形態が最も近いという感じでしょうか。まだまだ上手く言えないけれど、ようやく「踊りたい」と言えるようになったということかな。そんなことを思いました。