続*大きくなったら赤い口紅を
今日、彼がCDを借りに行くというのでついて行った。
(※彼=娘のパパで別居婚中。お互いバツ同士の再婚。ビジネスパートナーでもある)
・・・音楽なんてYouTubeで検索したらすぐ出てくるし、最近はAmazon echoに「音楽かけて」というだけで、なんとなく好きな感じの音楽をかけてくれるのもわかっていて。
だから、CDを借りるのなんて久しぶりだったのだけれど。
彼は音楽が好きだ。
私は「在るもの」として音楽をみていて。
『あ、これどこかで聞いたな』と、その時間と場所に記憶をトリップさせる。
その感覚が好きで、若いころからあえて音楽は手元に持たないようにしてきた。
彼は何でも『選ぶ』のが得意だと思う
その選ぶ強さは私にはないもので、彼の素敵なところでもある
車に乗って、そのままCDで聞いたことのある洋楽を聞いた
彼の選ぶ音楽は好き
彼と聞く音楽のある空間も好きだ
「こういう音楽って、どうやったら作れるんだろう」
彼が言った
「普通に生きていたら、こういう音楽を作れないで終わっていくと思うんだよ」
「そういうの考えたことある?」
先週、私はきっと死ぬまで無人島にはいかない。ってnoteを書いたんだって話した。
「何か大きな変化を起こさないと、きっと毎日の繰り返しで人生って終わってしまうんだ」
彼も赤い口紅の話しを、私の悲しみなどなかったかのように
「したらいいよ」と言ってくれた。
・・・してみようと思ってた
「うん、似合うと思うよ」
ちょっと歩いて買いに行って
鏡を見たら数分でできるようなことも私はこうして諦めようとするのだ
何か大きなことをする、満足のいくことを成し遂げる、とはどういう変化のうえでできるものなのだろう
それともその答えをおいかけながら終わっていくものなのだろうか
それをいつ受け入れるのだろうか
それとも反発すると決めて、最後までやり抜くのだろうか
できる人はそんなこと考えないのかもしれない
まだあれから口紅も買えていない
変化はきっと向こうからはこないつもりなのだろう
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