いただいた問いと私の回答3
前回の続き。
③ソクラテスは、哲学教師になれるでしょうか。
まずは教師とは何なのかとその条件を考えたい。教師とは何かを教える人のことだが、何らかの知識を教えているとは限らない。自身の人生観や思想を教えることもある。その場合は、「こう思っている」という思いを伝えるので十分である。思いは知識とは異なり、自身の頭に浮かんだことを言葉にするだけで教えることができる。また、知識というのも、知っていると思っていることなのではないだろうか?教師が教えていることが、真に知っていることとは限らない。教師は、自身が知っていると思っていることを知識と認識して教えているだろう。だとすれば、教師の条件は、思っていることがあり、それを言語化できることである。
これを元に、哲学教師とはどんなものなのかを考えたい。私は哲学教師には3種類あると思っている。1つめは自身の哲学思想を教えるタイプである。このタイプは、自身の哲学思想を確立しており、それを言語化できさえすれば、教師は務まる。2つめは他者の哲学思想や哲学史を教えるタイプである。このタイプは、他者の哲学思想や思想同士の関係を知っていると、本人が思っている必要がある。ただ、自身の哲学思想を確立している必要はない。3つめは哲学のやり方を教えるタイプである。このタイプは、自身のオリジナルな方法でも、他者の方法でもどちらでもよい。自身の思考回路や発想法を教えるか、他者の哲学的思考法を分析して教えればよい。私はこの全てのタイプを、哲学教師たり得ると考えている。どのタイプも何かを教えており、その内容は哲学に関することだからである。したがって、ソクラテスがこのうちのどれか1つのタイプでも条件を満たしていれば、哲学教師になれると言える。
ソクラテスは、1つめは問題なく満たしているのではないだろうか?自身の哲学思想はあるし、それを元に行動することもできている。3つめも問答法を実践することで、既に間接的に教えているだろうから、満たしていると思う。2つめに関しては、私の知識不足で判断できない。どなたか2つめに関する情報をご存じであれば、ぜひご教示いただきたい。
不知の自覚があるソクラテスには、知識や知っていると思っていることはないのかもしれない。しかし、思いはあるはずである。そして、それは哲学に関することである。それならば、哲学教師になることができるだろう。いや、元々哲学教師だったのだと言うことも可能だろう。
余談だが、誰にでも思いがあるのならば、誰でも教師になることはできると言える。ただもちろん、教師として需要があるか、収入を得られるかなどは場合による。
いただいた問いはこれで以上である。