ロミー・シュナイダー|占星術で観るある女性の一生
ロミー・シュナイダー
彼女の名前は、きっと知っているという方多いと思います。
有名な女優さんのお一人ですね。
当時のドイツのオストマルク州、現在はオーストリアですがウィーン生まれで、ドイツやフランス、ハリウッドで活躍した方。
私は彼女の若き日の映画、『プリンセス・シシー』をドイツに来てから見て、そのくらいの認識。
(シシーはエリザベート、オーストリア皇后の愛称。)
彼女を知ったきっかけ、『サン・スーシの女』
『サン・スーシの女』は彼女の遺作。
そのDVDを観て、その演技力や瞳や雰囲気からにじみ出る、その深い哀愁に感嘆しました。
そして同時にある、どんなものにも汚されない、きっと女優としての彼女というより、彼女の存在にあるなにか独特の無垢さを感じて、彼女の魅力と存在感が心に深く響きました。
食わず嫌いだったことを知りました。
今日はそんな彼女を、女優としての顔というより、ご本人、特に内面を知りたくて書いてみました。
彼女の星たちを頼りに、観て感じたことをシェアさせていただきます。
星たちのメッセージを聞くことは、その人を多面的に理解する上で、とても良い方法だと実感しています。
星から観る彼女の真実
人はみな多面体ですよね。
その多面体のあり様が、楽な人生として展開しやすい人もいれば、なかなかにハードコース、チャレンジ多そうなコースを選んだのね、そんな風に思うあり様もあります。
そういう意味でいえば、ロミー・シュナイダーは後者。
実際、女優としての成功の光、その背後の影は濃くて、それはプライベート面で彼女の人生に生涯ついて回ったものです。
燦然ときらめく光を持つ人の、同時にある影の濃さは、ドラマチックな人生の展開や人間模様として表現されたり、プライベートで深い苦悩として現れることも多いです。
そのあたりも含めて、彼女のエッセンスを掬いあげられたらいいなと思いながら書いてみます。
そして、詳細は下に書いてゆきますが、
ズバリ、彼女が底に抱えていた辛さ、人生で重荷になったことは『毒親』育ち。
両親とも、かなり彼女の人生に強い、そしてあまり好ましくない影響を及ぼしました。
ロミー・シュナイダーのチャート
下がアストロディーンストのページで見つけた彼女のチャート。
(ただし、データ信頼度がB。ですので出生時間などは、多少前後する可能性はありそうです)
ロミー・シュナイダー
1938年 9月 23日 22時
Austria Wien生まれ
ロミー・シュナイダーってどんな人?
彼女はある意味、演劇をやる質としてはサラブレッドのような女性です。
両親ともにそれぞれ俳優さんとして活躍し、母方の祖母も有名な女優であり、血統としてのギフトを受け取っていると言えます。
また、彼女のデビューもお母さんの主演映画に出演という、最初から舞台が用意されていたような幸運もあり、15才で順調なスタートを切りました。
(その頃、お母さんと映画で共演した俳優さんと一緒の写真)
そして、それから3作目で『プリンセス・シシー』という、後年まで人々の記憶に残る役柄に出会いました。ある意味、運命的な役柄。当時17才。
(写真は多分続編の中のシーン)
とてもフレッシュで若さが弾ける無垢さそのもので、その可愛らしさで彼女は人々の心を捉えたのですが、実は彼女自身は人気作がゆえに続編もつくられたこのはまり役が、役柄を固定する囚われのように感じて重かったようです。
確かに一つの面だけを要求される、それだけということだと、女優として成長したい彼女にとっては、心理的足かせにもなったのでしょう。
けれど、お金になるということで、母親も、母親が再婚した継父も、彼女の意思を無視して継続させようとしたのでした。
そのあたりの不満や自由になりたい気持ちが、20才で恋に落ちたアラン・ドロンの元へ出奔することへとつながっています。
アラン・ドロンと出会った頃は、ソーラーアークでもご縁を活性化する、そんな象徴が見られます。
けれど、アラン・ドロンとはその後婚約するものの、26才くらいで破局しています。
私たちの人生は、幼い日にどんな環境だったのか、どんな人たちに囲まれていたのか。
そこからも大いに影響を受けますよね。
両親との難しい関係性-毒親
彼女の人生にも、幼い日、若き日の両親からの影響が濃く影を落としていると感じるのですが、彼女7才の頃に両親は離婚し、その後寄宿学校へ入れられて14才で卒業するまで過ごします。
このあたりをソーラーアークという方法で見てみると、9才頃にソーラーアークの海王星が、個人そのものといえる太陽、月(彼女は太陽と月が合:同じ場所にある)に合で重なっています。
海王星の象徴として、混乱、寂しさもありますので、心理的には寄る辺ない不安、寂しさを感じたのではと思います。
このあたりで、占星術から彼女の両親との関係、影響についてさらに見てみます。
両親を観るポイントがいくつかあるのですが、父親、母親ともにかなりきつい影響を与える象徴が、彼女のチャートでは見られます。
父親:厳しかったり、あるいは関わらない父親だったりで、その関係において彼女が寂しさを感じた可能性。
そして同時に、心の深くに執着となるようなしこりを残した側面もあったかもしれません。
父親を象徴する天体が、彼女のいろいろな面、気持ち、人生の目的、情緒、コミュニケーション、思考の仕方など、人生の多くの面に強く影響を与えたのを見ることができます。
彼女の両親の離婚の一つの原因は父親が愛人を作ったことと、夫婦が住む場所の近くにヒットラーの山荘があり、父親、母親はヒットラーを巡って、片や反ヒットラー、片や親ヒットラーということで、そのあたりの考えも対立したらしいです。
ロミー・シュナイダーが生まれたのは1938年ですが、ヒットラーがナチス総統であったのは1934年~1945年なので、ロミーの両親は当時その雰囲気まっただ中にいたということになります。
また、母親との関係もチャレンジングで、若い時には母親の象徴ともなる、ある感受点が自身の情緒、喜び、感性を表す天体と重なっていて、ある意味「お膳立てしたり過干渉の母親」だったかもしれません。
幼い頃に寄宿舎に入れられ寂しさの中で成長して、その後母親が主役を演じる映画でデビューして、身近な存在としていい具合に健康的な依存ができ安心できる相手というより、仕事などでステージママとして自分に采配を振るう面や、心の面まで管理しようとする存在だったかもしれません。
彼女のチャートでは、「愛すること」「愛されること」、その二つのテーマを表すところにたくさんの天体があって、人生でそれを学び、バランスさせることが大切だったと言えます。
両親との関わり、関係においてもそのやりとりは、彼女が求める温かさにおいて、十分ではなかった気がします。
成長しての女優としての成功と影-彼女の才能の開花とともに
この母親を象徴するこの感受点は長じた後は、多くの人との関わりとなって、女優としてたくさんの人に影響を与えた彼女の、ギフトに転換した場合の表現となっています。
このあたり、仕事としてキャリアとして、女優人生は強い光の当たる成功の道になりました。
(映画はもちろんですが、シャネルのミューズとしても活躍)
けれど、実は彼女にとって大切だった家族、家、ルーツ、情緒的心の拠り所はあまり十分ではなく、彼女は心の潤い、安らぎを求めてさまよう、そんな面もあったと思います。
(それらの象徴の4ハウスに、太陽、月含め5つの天体がそろっている)
また、心の傷などを表すという天体からも「私は誰なのだろう?」「私が帰属するところはどこなのだろう?」という声が聞こえるようです。
幼い頃の家庭環境からの解決されていない問題が、心の土台の不安定さとなり、自信を失いがちになる側面もあったのかもしれません。
その心の空虚さ、寂しさを埋めるために外側で評価されることで、自身もエネルギーをもらうことに努め、女優魂を輝かせることで、癒しとなった部分も確かにあったと思います。
でも、彼女にとっては普通の家庭の幸せも、同じようにとても欲しかったもの。
けれど、それを手に入れるということが彼女にとっては難しくて、ある意味生涯ずっと手が届かなかったのですよね。
好きになった人との結婚も、2度の離婚になっていますし、アラン・ドロンとの関係も破局してしまいました。
難しい人生の要素といかに折り合うか
彼女の場合、心が求める欲求と人生の目的が離れていなくて、しかも月(欲求)も太陽(人生の目的)も、とても強力なパワフルなポイントにあり、そんな基調となるパワフルさも、女優としてはチャレンジングな役柄にも挑戦し、社会や公衆にメッセージを届けるという力にもなったのかなと思います。
特に遺作でもある『サン・スーシの女』の映画は、愛息の痛ましい事故死のすぐ後に撮影に入るという、普通の人ならば到底やり遂げられない厳しい状況を乗り越えての完成でした。
「現実でやり遂げる」という側面が発揮されたのかなと思います。
彼女のチャートに多く見られる天体同士の角度で150度があり、「摩擦が生じ易いけれど、異質をなんとかすり合わせようとする」などを示します。
それは心の中で常に「合わないものをなんとか呑み込もうとする、消化する」、あるいはそうせざるを得ないともいえ、それがゆえに女優としての演技の表情の豊かさ、揺らぎを表現できたとも言えるのかなと思います。
時代の空気や出自からのメッセージ
彼女が出演した映画のテーマとして、ドイツのナチス時代などもあります。父母のそれぞれのヒットラーへ対する態度が違い、またフランスにて映画に出て故郷の恥の記憶でもあるナチスのテーマを扱う。
このあたりも、なかなか苦渋と葛藤を与えるものじゃなかったでしょうか。
彼女は「集団や社会の期待に応えることを求められる」という、ある感受点が多くの人、大衆との関わり、つながりと合、重なっています。
演技や美意識を通してつながる、大衆の集合意識的な部分に働きかけることも、彼女が望んだことではなかったかもしれないけれど、宿命的に託されていたものだったかもしれません。
私は彼女のことを『サン・スーシの女』を通して知り、そのテーマが重いもので、現在もパンデミック絡みで生まれた分断があるという中で観ると、その当時のナチスを巡る大きな分断は本当に恐ろしいと思います。
ある意味、それを伝える役目として彼女の演技があったのだとしたら、彼女の瞳に宿る哀しさや深い情感は、彼女の辛い人生から熟成されたもので、人々(大衆)へのメッセージとして贈られたもの。
ひとりの人間ということを超えての、彼女の人生に配されたすべての石(チャレンジ)の役割があったのかなと思います。
ギフトと隣合わせ-情緒やコミュニケーション面での苦悩
素晴らしい映画は、人類が通った悲しみを昇華して見せてくれます。
そして映画が彼女を選んだといえるような存在だと思いますが、美的感性、映像、芸術、演劇、インスピレーションなどはすべて、彼女のお仕事適性を観るところに、そのまま出てきます。
あるいは同時に革新性などは、お姫さま女優でいて欲しいという大衆の声を超えて、いろんな役柄を演じることに意欲的だった彼女の、もう一つの個性です。
彼女はコミュニケーションを軽やかに上手に取るという人でもなかったように思え、感情のひだを生む、時には鋭さ、攻撃性、あるいは妄想傾向や境界がなくなってしまう点など、それは自身にとっては苦しみだったと思いますが、結果深い表現力につながったのかなと思います。
そしてその深みを育てつつ、彼女の本来の無垢さを消すことがなかったということが、とても素敵で奇跡のようなことです。
まとめ
彼女の人生をシンプルにいえば・・・
難しい両親、毒親からの影響を逃れようと、仕事・キャリアで自分を輝かせようとした女優が、その成功の光を浴びる舞台の裏で、本当に欲しかった自分の居場所や探し続けた愛を掴むことが叶わなかった。
個人人生としては苦悩に満ちていたけれども、彼女しか表現できなかった世界へのメッセージを届けた、深い情緒の女性の物語。
こんな風に言えるかなと思います。
幼い頃からの家庭から距離をおいて、仕事で評価され自信を得る。
これが彼女のチャートから観る、彼女の人生を幸せなものにするトリセツでした。
そしてその通り、彼女は女優人生で魅力と光を放ち、大切な深いメッセージを観るものに届けました。
願わくば、そこに家族や信頼できる人として寄り添う人たちがいたなら・・・どうだったのだろうと、つい思いを馳せてしまいますが。
実は占星術的に観ると、彼女の43才で亡くなるあたりは、誰もが通る『中年の危機』と言われる時期で、彼女に起こった痛ましい出来事もこの時期に特に集中していました。
占星術での中年の危機
彼女の人生での様々な辛いこと、特に晩年、いくつかが数珠つなぎのように重なるように起こった時期。
ある意味、誰の人生にも訪れる、それまでの人生を振り返って方向修正する大切な時期です。
誰にも彼女のような大きな悲劇が起きるわけではありません。
そして、起きる分野、出来事は個人によって違いますが、けれど人生へのインパクトという意味では、私たちは皆それを通り抜けて人生を進めてゆきます。
占星術的にいえば、土星よりさらに遠くにある天体たちが、そろって時期を合わせるように、出生の天体の元の場所と特定の角度で関わり、強烈に影響を送って来る、そんな時期に当たります。
具体的には冥王星と海王星、それぞれ90度での、あるいは天王星は180度での出生の同じ天体との関わり。
これらの天体の軌跡がその時により違うため、明確に〇〇才に起きるとは一般化して言えないのですが、だいたい30代半ば~40代半ばに起こります。
実際ロミーの場合を観ると、トランジットで巡るそれらの天体たちの影響が始まったのが、1978年頃(40才)からで亡くなった時もその真っ只中でした。
彼女のその時期の人生に、どんな出来事が起こったのかということでは、
・1978年(40才)から1981年(43才)で亡くなるまで、最初の夫の自殺、追徴課税で実質破産状態になったり、二度目の離婚、自身の手術、そして最愛の息子の事故死と、出来事もとても辛いことが重なりました。
その心痛がために薬物やアルコールにおぼれたとも言われています。
そして『サン・スーシの女』の完成を待って逝ったかのように、映画完成後、2か月弱で心不全で移行しました。
ある意味心身満身創痍状態で逝ってしまった、そんな感じがします。
一つ残念なのは、それらのとても重い影響が終わったあたりで、彼女の人生にとって喜びとなる状態もなんらか予期できたのですが(ソーラーアークでの事象など)、それを待たずして、その渦中で逝ってしまわれたことです。
人生に辛いことがあっても、流れが変わって喜びがそれを癒し笑顔が戻る時期もありますし。
けれど「残念」というのは、それは勝手な他者の考えで、彼女自身の魂はすべて完了して旅立ったのでしょうね。
改めてご冥福をお祈りいたします。
彼女の思いを引き継ぐのは私たち一人一人
私は彼女の遺作を通して興味を持ったので、これからさらに数本、追悼の気持ちもあって彼女の映画を観たいと思います。
また、若き日の無垢な彼女演じるシシーが、ドイツではクリスマスあたりに放映されますので、その時も新たな思いで見てみます。
彼女の人生に限らず、女性の人生を見せていただくことで、私たちの人生をさらにしっかり振り返ることも可能となります。
そして、私たち一人一人に託された、同じもののない唯一のMY人生を、さらに大切に生きたいなと心に芯をいれてもらえますね。
【写真出典】手元にあったドイツ雑誌『シュピーゲル』より
記事の参考のために。