名前とアイデンティティー
生まれた時、私は今と違う名前だった。
10歳の時、親が別居を始めて、私は母親について行った。12歳の時、両親が離婚して、私は母方の名字を名乗るようになった。
4文字中、名前の半分が変わった。
正直、新しい名字の方がかっこいい響きだったし、気に入っていた。
でも、教科書も、体操服も、リコーダーの袋も、全部が新しい名前になった時、半分の自分を失くしたような気になった。
正確に言うと、私の生きてきた半分の歴史が消え去ってしまったような感覚だった。
私は、両親の離婚には肯定的だったし、苗字が変わることに対してはむしろワクワクしていたはずだった。しかし、たった2文字が入れ変わったことによる喪失感は想像以上だった。むしろ片親を失ったことよりも不安定さを感じていたかもしれない。
その喪失感を打ち消すように、私は新しい名前で自分のアイデンティティを確立しようとがむしゃらに生きた。
あれから13年が経った。
25歳になって、やっと新しい名前で生きた時間の方が長くなった。もう自分のアイデンティティのほとんどは新しい名前の上に成り立っている。昔の名字だった自分のことはほとんど思い出さない。
今年、初めて文章を外部に発表するようになり、ペンネームを考えることになった。
その時に、ふと、12歳の時に失った過去の自分を、今の自分に含めてあげたいと思った。それで、昔の名字と今の名字から一文字ずつ取って、新たな名字を自分のために作った。
なんだか12歳までの自分がありがとうと言っている気がして。