見出し画像

ネブラスカ日記~留学前記~

私は2007年から2009年にかけて、アメリカの超ド田舎・ネブラスカにある大学院に留学をした。

ネブラスカなんて行ったことがある人はめちゃめちゃ少ないと思う。
なんでネブラスカかというと、自分で選んだわけではなく、ALLEXという留学奨学金の団体が私をそこにマッチングしたから。
その奨学金とは、アメリカにある大学でGraduate Assistant という立場のインストラクターとして日本語を教えながら大学院で勉強することで、授業料が免除され、月々の(若干の)お給料がもらえるというものだった。

留学前年に東京で行われた一次試験(筆記)、二次試験(日本語と英語での面接)を何とかすり抜け、たくさんあった候補の大学の中から、たまたま私の英語スコア、専攻分野などの諸条件が合ったネブラスカとのマッチングが成立して「派遣」されることになったときも
「・・・ネブラスカってどこよ?」
というのが私の正直なリアクションだった。

なので、行きたくて行った大学ではなかったけど、そこでの生活は想像をはるかに超えた、めちゃくちゃ大変で、めちゃくちゃ面白い日々だった。大学院の勉強をしながら、毎日日本語クラスを受け持つという、信じられないぐらい忙しい2年間を、Middle of Nowhereと形容される、地平線までコーン畑が絶望的なぐらいに広がっているド田舎の大学で過ごした。毎日がひたすら忙しく、こんなに何かに必死になるってこと、実は人生で初めてなんじゃないか?と日々思い続けた2年間だった。

留学をしたのは、私が33歳の夏からだった。
なんで留学をしたのかというと、一応それまで順調に生きてきた私だったが、28歳で結婚して地方に移り住んだものの、29歳でさくっと離婚することになり、全く思いもかけなかった方向にいきなり人生が向いてしまった。何を見てもモノクロにしか景色が見えず、笑うことができない、かなりつらい時期だった。私の人生ずっとこんなんじゃいやだ!何とかしてこの状態を強制リセットしなきゃ!と思って考えたのがいわゆる「河岸を変える」、留学という方法だった。

バツイチになって東京に戻り、事務職員として働いていた大学で、たまたまこの奨学金プログラムの案内ポスターを見つけた日から、私の「どん底人生逆転プロジェクト」がひそやかに始まった。実はこの奨学金は、私が高校生の時に偶然新聞記事で見つけ、これで留学したい!と思っていたものだった。(応募資格が大卒以上だったので、当時は応募できなかった)TOEFL受験など約2年の準備期間を経て選抜試験に合格し、すぱっと仕事を辞めた。2007年6月に日本を発ち、ポートランド州立大学での2か月間に及ぶ(鬼のような)集中日本語教育講座を受けたのち、8月からネブラスカでの生活が始まった。

留学当時はMixiで毎日日記をつけて公開していた。SNSは遠く離れた友人とのコミュニケーションツールになっただけではなく、私にとっては留学生活の記録や、愚痴を吐き出す大切な道具だった。また日本にいる友人たちにとっては私の生存確認、それと私が体験していた様々なことをリアルタイムに共有する場でもあった。

留学が終わってから既に15年が経ち、当時Mixiで交流していた友人たちも違うツールを使うことが多くなり、私もFacebookやInstagramといったツールをメインに使うようになったことから、当時の記録は私を含めてもう誰も見ることがない状態になっている。でも、当時は私の”マイミクさん”ではなかった新しい友人たちも増えてきているし、そういう人達にも、今現在の私になくてはならない2年間を知ってもらいたいという思いもあり、この度、当時の日記を改めてこちらに移すことにした。

私の人生をかけた一大プロジェクトを、ゆるーく綴ったこの記録。読んでもらって、心の中でツッコんでいただけたら嬉しい。(Akiko)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?