数多くの贈り物。
我が家は崩壊している。
それは夫婦として暮らしている
私達のことを指す。
結婚から間も無くして
誕生日や結婚記念日などままならなくなっていた。
付き合って結婚して
夫婦である私達が出会ってから
2年にも満たないうちに特別なイベントは催されなくなってしまった。
忙しい…だとか、時間がない…だとか言う
仕事を理由に。
なぜだろう。
私達夫婦は何か違う物を求めていたのか、あるいは互いに被っていた仮面が外れたか。
赤の他人同士、一つ屋根の下で暮らしたら大変なことが起きる。
いずれ本性は露わになり、全てを曝け出す。
そうなった時、本当の人間力が試される。
どうだろう、私は情緒不安定を晒した。
そして、向こうも情緒不安定だった。
旦那の荒れ狂う気質を、私は受け止めた。
静かに、動じずに。
私は私の本心を常に語っていたが、うまく波長が合わずにきちんと話は聞いてもらえなかった。
そこから次第にじわりじわりと心の溝は生まれた。
向こうの暴言が激しいとき、私が傷付いたかと思いリカバリーしにやってくることがある。
機嫌取りだ。
私はあれが嫌いだ。
まだイベント事が開催されずとも、なんだかんだ仲が良いと思っていた時期は、その機嫌取りで上手く凌げていたように感じる。
特別な記念日に何かなくても
乗り越えていた日々。
いつしか旦那が他の女性を意識し始める。
女性アーティストや仕事絡みの女の子。
そしてユーチューバー。
車のコーティングを頼みにわざわざ
そのユーチューバーさんのところに出向いた。
プレゼントまで用意して。
違和感を感じたが特に責めたりはしなかった。
私もそのプレゼントの数種類の一つが
欲しくてプレゼント選び中に、おねだりしたが却下された。
あれはきっと好き…という気持ちがあった上でのプレゼントであり、出向いた流れだ。
私はそこまで気にしてなかった。
世の女性はもっと敏感に反応して旦那を責めるだろう。
私は一般的な女性や奥さんと少し感覚が違う。
ズレているとも言うかも知れない。
いつしかこのような脇見運転が見られ、見逃しが効かない事故が発生した。
私こそ、我慢の限界だった…ということ。
自分の素直な気持ちに蓋をして生きるスタイル。
いつしか限界値を超えて、旦那ではなく他の誰かに意識を向けることになったのだ。
誕生日も結婚記念日も入籍記念日もない、誕生日はお小遣いしかもらえず、どこか外食したり祝ったり特別な気持ちにもさせてもらえず
何か他の人をふわふわ意識してる旦那を見ていて、耐えられなくなった…いや、耐えられていなかった…んだと気づいた。
クールな女だ。
私は感情的に怒ったり嘆いたり責めたりしない。
そんな自分が好きなんだ。
ある意味、そういう自分が好きじゃなければ
やっていられなかったかも分からない。
旦那はエスカレートして、SNS上の女性にお金を投げ込んだ。投げ銭だ。
私はお小遣い制で決まった額しか毎月渡してもらえない。
不平等に虐げられている。
どうやったって私は追い込まれている。
現実逃避する得意技がある為か、どこか他人事のような気がしているが
いずれこれは終止符を打たないといけないことなのである。
そう思ってならない。
しかし恨み辛みも出来ないお人好しな私。
見えない暗闇や傷はおそらくじわじわ増えてはいるはず。
だからこそ、好きな人がいることでリアルを生きる原動力が生まれている。
旦那も私も好きな人がいて、お互いに何かしら密に繋がっているはずなのに、どうしてこの夫婦という形を壊せないでいるのだろうか。
とても深刻な問題だ。
旦那のお金のコントロールミスで自己破産。
私は単に働いてお金を家に運んでくる道具に過ぎないのだ。
見えている。
私は料理を作ってもらっても、何かしてもらっても愛情を感じられないのだから。
もう完全に冷え切っている。
残っているのは単なるお人好しと、平和主義のマイペースな性格だけ。
このシナリオを書き換える術を探している。
こうやって淡々と日常を書き上げてしまえる自分がまた変人じみて怖いが、これまでの苦労はこういうネジのない脳が乗り越えてきてくれたのだから、むしろ斜め上を生きている気がするのは気のせいだろうか。
いつの日も自分のことは自分が認めてきて、許してきた。
私は私の好きな人を愛する。
それだけなのだ。
シンプル。
それでもいつかきちんと考えないといけない時期が来るのも何となく理解している。
生きてる年数だけ重ねてきて、中身が子どもや学生時代から何ら変わりなくどうしようもなさがある部分も少し恐怖だ。
しかし感覚は変わらないもの。
今日は愛する人の健康を考えて、たくさんの贈り物を選んで購入した。
好きな相手を喜ばせないと意味がないじゃないか。
私達夫婦は互いがズレただけかも知れないが
私の性格上、気に入らないこと、譲れないことが許容範囲を超えたら一生許さないと心に決めている。
恨んでいる訳じゃない。
悲しみや虐げられた記憶をゼロにしない為。
私自身の心の苦しみを許してしまったら私は相手にとって都合の良い妻でしかなくなるからだ。
都合の良い存在なだけ
というものにならない為に心に決めている。
そんなこだわりすらなかったら
私は全てを許してしまう大馬鹿者だ。
さすがに自分自身の人権はないと、問題だろう。
愛する人だけが、危うい私の気質を理解して受け止めてくれる。奇跡の存在。
魂の仲間。繋がりを感じる。
自分のよき理解者とは、同じ魂を持った存在だからだろう。
私は音の世界に触れ、言葉の源泉に触れた。
故郷はここにある。
一番居心地の良い場所は、いつも彼が教えてくれる。ありがとう。
どんな思い出も心も忘れぬよう記憶させておこう。