言葉が追いかけてくる
そう、私は言葉の海に飛び込んだ。
あの瞬間。
音と触れ合って、新しいメロディーに出会った瞬間
何もかもを忘れて夢中になっていた。
音作り、曲作りとはそういうものだろう。
私にとっては。
心地よかった。
全て忘れて無に溶けた。
やっぱりそういう空間に身を置いていることが
心の安らぎであり自分らしいのだと感じた。
内向型そのものである。
逆に外向型の性質はどのくらい持っているのだろうか。
心の内に潜み、じっくりと考えたり
感性のままに選び取ったり
あるいはこうやって言葉の海を泳ぐということ。
大海原に出て私は、広い青に出会う。
いつの時もそこで溶け合う。
好きな人と重なる瞬間にも似ているような。
好きだったら良いという訳ではない。
これもまたとても難しい問題を秘めている。
私のことを深い所から理解し、探索し、追究する。
そして、あらゆる言動に興味を抱き
愛を持って接することが出来る人。
何よりも大切な
「驚くほどに波長が合う存在」
そういう相手でなければ実現不可能な世界。
青の海で溶け合うはあなたの鼓動。
静けさの中で泡沫の時を愛する。
人生の中での一瞬だ。
その瞬間の熱量と深さはとても莫大なエネルギーを
伴っているけれど
年単位で見た時にそれは、ほんの一瞬でしかない。
でも
確かめるように、分かり合うように、繋がり合う。
慣れた関係ではなく、常に、そこに鮮度が生まれる。
確認し合うことで、一つの新しさが生まれる。
「私のことが本当に好き?」
途方もない問いに対する答えなど決まり切っているが
天邪鬼だったり機嫌の問題で
イエスがノーへと簡単にひっくり返ることもある世界。
そんな中で、幾たびも質問をされる。
「俺のことが好きなのか?」
単純な問いだが
その単純な問いはとても深いものを測るものさしだ。
毎回自分自身に問われたことを問いかける。
好きかどうかを考えることは
付き合い始めのころのカップルのようで初々しい。
人の心など移り変わるもの。
だからこそ初めてのころのように
慣れた関係ではなく新鮮でいたい。
いつまでもそういう心で相手を思い続けられるように。