ストレスという名のプレッシャー
ストレス、という言葉が使われる。でも、なんでもストレスになれる気がするのだ。
ご飯を食べることも、寝ることも、どうにかするとストレス、になり得るのだと思う。
私にとっては、働くことはストレス、以外の何物でもなかった。最近は特にそうだった。毎日バイトのために寝起きする日々は苦痛でしかなかった。働かざるもの食うべからず、その言葉通りだと思っていたから。
確かに、その言葉通りである。働かないと生きていけないのだ。家にも住めないし、ご飯も食べれないし、寝る場所も無くなるから。なんの補助もなく、この状況はキツイものだった。
なんなら、私にとってのストレスは生きること。生きている自分がストレスであり、死んでしまえばいいのかというと、そうでもないので、底辺でゴニョゴニョしながら、ここまで生きてきたのだ。幸運にも。
生きることすなわち、働くことは、ストレスという名のプレッシャー。
なんで生きることをストレスと思いながら過ごさなきゃいけないんだろう、と思いながら生きることは、働くことは、ただのストレスでしかない。
そりゃ生理だって止まるよね。と思いながらここ数ヶ月を過ごしている。(いきなりで気を悪くした方はすみません。)今まで生理不順でもなく、生理がズレることも止まることもなかったのに、初めて止まっている。
本当に生きることってこんなに難しかったんだなって、思うほど、苦しい。
だからと言って、死んでしまえ、そんな気持ちになるときもあったけど、最近は思わなくなった。一種の諦めにも似た感情が、沸き起こって、とりあえず、考えるのをやめよう。と思考停止になるのだ。
3月はほとんどバイトがない。だから、ストレスを抱えながら生きていかなくてもいいのだ。とても気が楽だ。気が向いた時だけ働いて、気が向かない時は休む。そうやって生きていくことができるなら、今はそのほうがいい。
どんなに頑張っても上は見えているから、私にはもう、少しのお金と少しの癒しがあればそれでいい。本当にそう思う。
長いようであっという間だった2月。おやすみなさい。そして、ようこそ3月。じっとゆっくりと耐えながら、岩のようにずっしりと生きていたいと思う。