母と、私の反撃日記 4
「私は内定取り消しになるのですか?」
こう連絡してから、1週間後に企業からの返信が帰ってきた。その返事は、現時点では決断できず、待ってほしい。という内容だった。
この連絡がくるまでも、母は私に連絡してきていた。
ある晩は、30回ほど電話をかけてきた。スマホの画面は、ずっと母の名前が映る着信画面がしばらく続いた。
それでも私は、電話に出なかった。
すると、内定辞退し1年間海外に行って、広い視野のなかで頭を冷やしてきてほしい、という内容を伝えてきた。今就活し直しても、いいところには行けないから、来年仕切り直してほしいという思いもあったようだ。
私は、その道は選ばないと伝えた。
・内定取り消しになってどうするのか?
・母は企業と全く連絡をとっていないにも関わらず、内定取り消しという提案がきたことを冷静に受け止め、恥ずかしくない行動をとってほしい。
・家族と関わりたくないなら、自由にすればいいけど、最終的に連絡がくるのは家族である。
この3点が纏まっている内容が送られてきた。
私としては、企業側に連絡をしたのは母なので、企業側からの電話に対応し、企業側の主張を理解した上で私に話を持ちかけてくるべきではないのか、と伝えた。
すると、『相変わらずの持論ですね。一生私を恨んでください!』とのことだった。話し合いができない、もここまでくると病気の疑いを拭い切れないほどであった。
さらに、年末年始に実家に返ってきて欲しいとも言われたが、断ったところ、ある提案がきた。
・母が連絡を取らなくなった後の、私と企業側の連絡を私が母に提示すること。
上記の条件を満たせば、以下の点について対応するということだった。
・実家にあるマイナンバーの通知カードを一人暮らしの家の住所に変更して、郵送する
・私名義で母が通帳を持っている口座の通帳を一人暮らしの家に郵送する
・スマホの名義を言ってくれれば、私の名義に移す
加えて母の主張は、
・内定先の企業の対応は常にお粗末だ(私の内定取り消しにおいても)
・今まで私なりにあなたの気持ちを優先し、あなたのポテンシャルを引き出してきたつもりだ
・あなたは私に支配されてると思っていて残念だ
とのこと。
母が企業に初めて連絡したとき、企業側の返事は1週間後になってしまったことを、母は非常識だとずっと言い張っていた。
その事を含めて会社側を責め続けていたが、それならば会社側の電話などに対応すべきであると思ったし、私には逃げているようにしか見えなかった。
企業からの1週間後のメールの返事をみて、私は、辞退を決めた。
母が対応しないのであれば、私が折れるしか方法は無いように思えたからだ。
企業側は、親と縁を切ってまで、入社して欲しいとは思わない、の一点張りであった。
私にできることは辞退以外、道は残されていなかった。
私は辞退する事を企業に伝えたが、数日は、放心状態だった。
なぜこんなに悲しいのかも全く分からなかった。
でも、少しすると、自分の信念を曲げられた気がしたから、悲しんでいるのだと気づくこともできた。
就活は、人生の全てではない。
ただ、自分で必死に掴んだものを、必死に掴んだ自分を守ることに一生懸命になっていた半年。そして、気づかないうちにうつ病にかかっていた。
私は、身も心もぼろぼろだった。
でも、これで、また、前に進める。
そう思えたのも事実である。
長い人生の一部であるなら、私は、喜んで、山を登り続けてやろうと、覚悟できた。