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高校時代の英語のノートを掘り起こして考えた、経験とは何か

おはようございます。

現在大学4年生、就職活動の真っ只中です。過去の経験を振り返り、自分の人間性について言語化できるよう励んでおりますが、そもそも経験の在り方とは何なのかという考え方に至りました。

小学校は地元のところに通い、中学校高校で中高一貫校・全寮制の学校に通い、現在大学生一人暮らし、私はこれまで色々な経験をしてきたと振り返りながら思います。

全寮制での集団生活、寮行事の運営、3度の海外研修、講演会拝聴、芸術鑑賞、大学受験の失敗、ボランティア、学部成績優秀者、留学、これほどしてきたのにこの経験は何だったのだろうか。

そんな時、高校時代に使っていたスケジュール帳を見つけました。私は中学生の時英語が苦手だったのですが、高校に上がって出会った先生が私を英語好きに変えてくれました。そのスケジュール帳には、先生が一番初めの授業で話していたことが書かれていました。

先生は、君たちには“Be independent”な人になってほしい。と、そのひと単語から授業をはじめました。“自立した、独立した”という単語の意味を知らない私は、何言ってるんだと思ったのが記憶に残っています(笑)

“independent”の“in”は“not”
“de”は“down”という意味を持ちぶら下がるようなイメージ
“pendent”はペンダントのように、これもぶら下げているようなイメージ
つまり、ぶら下がっていない状態になってほしいという単語の成り立ちと共に、現在地から目的地まで回り道でもいいから、自分で考えて、到達してほしいというメッセージをこの単語に込めて教えてくれました。
この時、パズルのように単語が出来上がっているということと、根幹を知れることに面白さを感じましたね(笑)

今となって読み返した時、経験、積み重ねてきたもの、私はその目的地という結果に満足していたのではないかとその単語を見て思いました。

確かにその経験をするために努力した過去はありながらも、その過程で自分が何を思っていたのかを振り返る機会も少なく、してきたという結果だけに走っていたのではないかと、少し恥じらいを覚えました。

だからこそ、高校の時に教えてもらっていたこの言葉が今になってより真髄まで理解できたような気がします。

6年間寝食共にしてきた友人とはこのようなことを熱く語る時がたまにあります。選択することについて話した時、「最終判断基準は何?」と聞かれました。私は「根っこかなって思ったところ」と答えました。木の花に満足してしまっていた私は、真っ先に花を咲かせることばかりに没頭していたと思います。それも誰かが提供してくれたきっかけや手段を通じて。

長い目で見た時、これまでの経験が原点に帰らせてくれるきっかけになればいいなと思っています。経験は自分を飾るためだけのものではなく、最高の材料にもなる。ちょっと踏みとどまって、考えることを恐れず、また一歩踏み出したいと思います。

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