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建築学生時代、優秀ではなかった

本日は雨のため1日作品制作です。

ところで時々聞かれるんですがみなさんは学生時代は優秀でしたか?

作家やってると「学生時代は優秀だったんですか?」

と聞かれます。

作家やってるからそれなりに良い成績だったんじゃないかと思うだろうが。


正直言って優秀ではなかった。

落第点ギリギリで1年の頃は設計課題の忙しさとバイトで他の課題がうまく両立できずにかなり単位を落とした。

2年からは単位をあまり落とさずに何とか他の課題と設計課題の両立はしたけど設計の評価は泣かず飛ばす。

3年になっても結果はイマイチだった。

・大学3年の演習課題

なかなかデザインというものがよく分からず、闇雲に建築の本をあさっては読み続けた。

ある日思った。

「建築の本を見るのをやめよう」


そう思い立ち、ひたすらスケッチブックに建築のドローイングをただ描きまくった。

その中で一番良いものを建築として発表したのがこれ。

今まではただ形にとらわれ過ぎて自分の求める形に到達できなかった。縛っていたのは自分何だと気づいた。


この時から建築の面白さがわかり、設計課題の評価や講義に対する姿勢が大きく変わった。

底辺の人間が這い上がってくるドラマや映画はあるけど、結局は姿勢の問題だと思う。

その後は建築が好きだと言うことに目覚めて、良い成績でも残したんだろう。


と思うだろうが、そのあと優秀であることを捨てた。

今までは設計課題で上位を獲ることが目的だった。実際大学3年の前期最終課題で設計に口うるさい教授を納得させる作品を作った。

ただ構造の教授が設計で構造的によくないと感じて1点足りなかったが、実質1位だった。

それまで求めていたものが達成された時に思った。

「このあと何を目指せば良いのだろうか」

同期で1年の頃からずっと1位にこだわってた奴がいた。そいつは建築に対する情熱が熱く、本当に建築が好きだったと見えた。

ただそいつは3年の後期課題からはオリジナルティの点でうまくいかずにリズムを崩すかのようにうまくいかなくなった。

結局は優秀であることは学内評価だけの点数で本当の勝負は外の世界にあるんだと気づいたのは大学3年の夏休みだった。


ちょうど東京の大手設計事務所のインターンに参加する機会があった。

その時に他大学の学生と会った時に衝撃を受けた。

他大学の手伝いに行ったり、コンペに挑んだりと学内に止まらずに外に向かって行ってる。

それを聞いた僕はそれまでの大学内の評価という小さな世界の一角だと感じた。


本当の建築の面白さは外にある。


夏休みが終わり、後期課題からは設計課題が二つ選べた。

ひとつは前期課題で超難易度の高い設計で建築が好きな人が選ぶ課題。

もう一つはかなりゆるくてやりやすい課題だった。

 僕はゆるい方を選んだ。


理由としてはコンペをやることだった。

友人と組んでコンペに打ち込み、2人でアイディアを出しながら期日ギリギリまでやりながら提出をした。正直、賞なんかより大学の課題以外で自分らで何かを見つけてとって来ること重要だった。


結果は落選だった。けれど残りわずかな大学生活を有意義に使いたい。そのためにはまず外の世界に挑むことが重要だ。

・落選したコンペ案。


学生時代は優秀ではなかった。

優秀ではなかったけど野心家であったと思う。

優秀だったら今頃サラリーマンとしてうまいことやってる。

でも優秀でなくてはいけないかという事はない。建築が好きなら突き進めば良い。

学生時代に優秀だった人が必ずしも成功するとは限らない。

物事は続けていく気力と成り上がる為に何が必要かを見極めながら進む事だ。









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