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あなたの引き寄せを妨げているのは、実はクライシスアクターなのかも?
クライシスアクターは本当にいる?
メディアの嘘に気づき始めた方ならおそらくご存じであろう。
クライシスアクターのことを…
クライシスアクターの表向きの意味は、防災訓練において実感を出すために負傷した被害者を演じる役者のことであるが、もちろんここで言うのは、その意味のそれではない。
悲惨な事件においてメディアの報道のために偽の被害者役を行ったり、現場の目撃者を装ったりする役者のことである。
これについては、今のところwikipediaでは陰謀論だと明白に認定されている。
経緯を説明しよう。
昨今我が国における公衆の面前で起こった数々の凶悪犯罪の報道において、なぜか同一人物が現場にいる様々な画像がWEB上に出回っている。
事の真偽を一般の人々が納得する形で誰かが証明するということは、現実問題として難しい。だから真実は霧の中であるが、この意味でのクライシスアクターというものがひょっとしたらあるのかも知れないという情報が、WEB上ですでに多くの人々の知るところとなっているということは確かである。
最近やたらに公共の場所での凶悪事件が多く報道されているが、そもそも電車内や多くの人々の集まる場所で、きわめて凶悪な犯罪が最近起こり過ぎていることに疑問が持たれなくてはいけないかも知れない。
本当にそんなにも人心がすさんで、粗暴な行動が起こりやすい状況になっているのだろうか。
そしてクライシスアクターの存在を主張する人はこう問いかける。
なぜその凶悪犯罪の現場の映像スクープが、いかにもプロの技術で撮影されたかのようなベストショットで、いつも報道に載ってくるのか?
素人目に見て、最初から撮影スタッフが凶悪現場にいるかのように感じるのはなぜなのか?
一般人は目前で人が刺されたときにスマホカメラを向けることがあったとしても、まず逃げ出して衝撃を受けるのがその先の行動としてあるはずなのに、どうして映像を撮ったとされる人の映像はいつもそんなにブレがなく、彼らは沈着に行動できているのか・・・等々、なるほど聞いてみれば疑義が多いと実感する。
ただ逆に今のスマホカメラは非常に高性能であるから、簡単に画像を差し替えたりできるし動画だってある程度はいじることができてしまう。だから簡単に存在すると断定することもまた難しいであろう。
しかしこうしたクライシスアクターの噂は、かなり以前からある程度の信憑性を持ってWEB上に流れている話だ。日本だけでなく世界中でこれは流れ続けている。正直真偽はわからないが、あってもおかしくないとは思う。
そもそも、メディアの嘘に塗り固められたプロパガンダというべきもの自体について、気がつき始めている人が多くなっているのかも知れない。
こういう事が噂される背景には、やはりマスメディアへの大きな不信感というものがあるのだろう。
天気予報さえ信用できない!?
もうずいぶん前になると思うが、ある人は「新聞で信用できるのは日付だけである」と言い放った。
大笑いしてそれを読んだが、実際のところ私も概ね賛成である(ただし地域のコラムのようなものは別だが…)
そしてニュースにおいては、これも笑い話のようなものだが、「天気予報はまだ信用できる」という話が以前あったのだが、今や気象に関する報道にもよくわからないイメージ操作的なものが混ざってきていて、少しの気象状況でとにかく警報をすぐ出してしまうのも不思議であるし、「過去数十年で最悪の」というような枕詞を常套句にしていたりして、その天気予報さえもあまりあてにはならない気がする。
こういう事も併せて振り返ってみれば、総じてマスメディアは、今や大小さまざまな「嘘」だらけなのかも知れない。
そして現在、それに気づいている人と全く気付いていない人との間での、情報収集度における違いは、これまでになく極大化している。
本当に世の中は「怖い」のか?
私は以前、マスメディアというものがどうにも信用できないという事に心底気づいたとき、これまで自分が信じていたあらゆる情報が一体どこまで正しいのか、正直言ってわからなくなった。
これまで起こって来たとされる数々の過去の凶悪事件についても、クライシスアクターというものの情報とも相まって、本当に起こったものなのかどうか疑問になり始めた。
普通の人は実際、一般人の感覚の許容範囲を超えて残酷であったり、想定を超えて常軌を逸した極悪な行動をとるような人間というものには、その人生においてほとんど出会うことがない。お目にかかれるとしたらそれは実はTVの中だけである。
その感覚からすると、電車で突然人を刺してしまうようなタイプの人間が其処彼処にいる感じすらある、マスメディアが伝えつつある最近の社会情勢というものには、実感としても違和感が拭えないのである。
もちろん、精神面で追い込まれれば人はいかようにも行動を変えてしまう事は理解しているが、それにしても今の報道を見ていると、それだけで「世界は怖いことだらけ」と確信をしてしまう人も多いのではないだろうか。
実際に例の疾病騒動に恐れを感じて、外出すれば少しのことできっと死に至るような病気になるはずだと感じてしまっている人も多い。
マスメディアがどんなことにも嘘を混ぜることがありうると知ってしまうと、マスメディアの本当の任務は実は「人々を怖がらせる」ことにあるのではないかという疑いさえ湧いてくる。
「どんな理由でそんなことをする必要があるのか?」おそらく情報不足の方は嘲笑してそう問われるだろう。
でも残念なことにそんなことをする理由が実は存在する。この稿の目的から外れてしまうので、その詳細については今回は詳しく述べない。
SNSや動画サイトを探ればその理由についても、出ているので調べてみてほしいが、マスメディアが何か合理的な理由があって「人々を怖がらせている」ということは、割と蓋然性の高い事実ではないかと個人的には考えている。
引き寄せを阻害する要因
さてこの稿の本来の目的に入ろう。
それは「クライシスアクターというものが引き寄せを妨げる」ということの説明である。
そもそも、なぜ引き寄せというものができるのか?
その根拠は色々挙げられているが、私は「人の思考がこの現実世界をすべて創り出している」という所にあると考えている。
これを前提に考えた場合、幸運を引き寄せるためには、自分自身の心の中ので「ああ、幸せだな」とか「感謝」ということを、あたかも現在起こっていることのように実感できることが必須の事となって来る。
だとすると、「幸せだな」「感謝」という思念をどうにも描けない状態にしてしまえば、逆に人は幸運を引き寄せることが難しくなってきてしまう。そして実際現代社会では、実に多くの人がこのような状態にあるのではないかと考えられる。
そしてその最も大きな要因は、マスメディアが流す世の中に対する漠然とした「怖れ」の情報にあるのではないかと思われるのだ。
クライシスアクターについては、それを象徴する一例として今回取り上げたのであるが、
まず、クライシスアクターが存在すると確信する人にとっては「何てひどい事になっているのか」「こんなことまでして世界を恐怖に陥れたいのか」という漠然とした思いを加速させる要因になり、世の中に対する「不安」「怖れ」がその人の中では怒りと共に倍加することになる。
事実SNSにこういった記事が上がるとコメント欄には怒りや不安が渦巻いている。無理からぬところである。
また、逆にその存在を否定する人は、凶悪事件が実際に頻繁に起こると認識するのだからもちろん大変な「不安」「怖れ」の世界に飛び込んでしまうことになる。
このようにクライシスアクターのような世情を不安にする新しい情報が流れることで、実はどのような立場にある人も、いずれにせよ、その常識はずれな事象により恐怖を感じるという構図が作りだされているのである。
情報戦を行う時には、相手に対して嘘の情報を流すと同時に、それと反対の種明かしの情報を流すのが、敵を分断するためには意外に効果的であると言われる。
どちらにしても相手は「怒り」「不安」「怖れ」の渦に巻き込まれるという寸法だ。ひょっとしたらクライシスアクターもそういう類のものなのかも知れない。
画像で誰にでもすぐにわかる同一人物なんて、もし陰謀だとしたら少し迂闊すぎる気もするからだ。杜撰すぎてむしろ種明かしのメッセージと言ってもいい位である。
未来への不安を持つから不幸になる。
マスメディアが世の不安を煽るのは昔から同じであるが、「それはマスメディアの宿命として、幸福なことはニュースにならないから仕方がない」と言われて、私たちは納得し続けてきた。
しかし、そのマスメディアが垂れ流している「不安情報」というものが、現実には、人々が「幸せだな」「感謝だな」という思いを持てないようにする最大の阻害要因になっているのではないかという気がする。
つまりこういう事である。
順番が逆なのだ。
未来に不幸なことが起こるから、その結果として、初めて私たちが不幸になるのではないのである。
今この場所で、未来への不安を持つから、不安な未来が創造されて、不幸な未来が到来するというのが、実は正確な状況の描写なのである。
逆に言えば、今この場所で、わくわくした気持ちで幸運を感じて、それを信じ切ることができれば、幸運な未来は創造されて自分にとっての最高の未来が到来するということでもあるのだ。
そうだとすると、人々の心に「不安」「怖れ」を忍び込ませることは、単に人々の行動を恐れから制約したり、よく言われるように監視社会を実現しようとするということだけの意味合いではなくなってくる。つまり「人々の未来の幸福を防止する」ということにもなっているのである。
もちろんメディア自身がそんなことを考えているとも思えないし、あくまで彼らが求めているものは経済的な利益であると思われるが、マスメディアの報道や番組を常時目にしている人々は気をつけなくてはいけない。
知らず知らずのうちに私たちの心の中は「不安」「怖れ」でいっぱいになってしまっているかも知れない。
それは単に「嫌な気分」になるというだけではない。あなたの今後の世界を変えてしまう危険があることなのである。
幸運な未来の引き寄せ方
こういう潜在意識を汚すアイテムから逃れるために一番良いのはテレビや新聞を見ない事であるが、WEB上でもそういう恐怖に満ちた報道は今や常時流れてくる時代になっている。
だから、そんな情報に触れてしまう事も不可避になっている。
ではどうすればよいのか?
良い方法がある。次のように考えればよいのだ。
①自分の身の回りの生活や地域社会というものだけが、「今ここ」にある現実社会だということを意識する。
②恐怖に満ちた情報は受け取らず「遥かどこか遠くで起きているテレビドラマのようなもの」だと認識して、すぐに意識の外に流してしまう。
そもそもTV自体が作り物の世界である。クライシスアクターの存在が本当のものであれ嘘であれ、いずれにしても「今ここ」の生活に関係のない事ばかりであることがほとんどである。
私たちの人生はそんなところではなく、現場(今ここ)で起こっていることだからである。無視したところで実は何も変わらないのだ。
では逆に「不安」や「怖れ」を持たなくなる状態になると、人にはどんなことが起きるのか。
実に多くの人が、物心ついて以来というものこれから起きる事についての「不安」や「怖れ」を心の中から消したという経験がない。とにかく四六時中何かについて思考を続けている。
その回数は一日6万回とも言われている。
「明日は6時起きか、つらいな」
「そういえば部長との接待憂鬱だな」
「しかしこの間のニュースに出てきた医者は許せないな」
「あれ、昨日誰かに何か言われたぞ、何か不快だった。何だっけ?」
こんなことを人生の間、ずっと間断なく人は考え続けている。
実際に「不安」や「怖れ」を消去した状態を経験している立場から言わせてもらうと、「不安」や「怖れ」などの思考を消去できると、心の中は態は大変多幸感に溢れる状態になる。
こういう状態になることは、引き寄せを一番容易にする状態であるとも言われており、それは瞑想によって生じる状態にも近いものらしい。
ただ、①の局面でこれを行う事で「今ここ」の現実だけに集中して向かい合うことさえ簡単ではないのに、②で見られるような恐怖に満ちた情報を一々脳裏に浮かべてしまっているとなれば、とてもではないが引き寄せなどできるはずもない。
こういうことから、本来は人が普通に持っているはずの引き寄せの力を、現代人は持つことができないようにされてしまっていると考えられる。
だからとにかく自分にかかわりのない「不安」や「怖れ」などは、すぐに受け流してしまうのに限るのである。
世界の中心はどこなのか?
多くの人は、「果てしない宇宙 ー その中に銀河系 ー その中に太陽系 ー その中に地球 ー その中に日本と言うちっぽけな島国があり、その中の端っこの端っこに自分が住んでいる場所があって、巨大な物理世界のごく一部に自分がいる」と思い込んでいる。
そして、「自分がこの世を去っても、その後も世界は果てしなく続く」という考えをもって生きている。
しかし、それは実は誤解である。実際には、世界はあなたを中心に広がっている。
なぜならあなたが生まれる前は、あなたにはこの世界を認識できなかった。
また、あなたが夜目を閉じれば、この世界はないと同じになる。認識できないからだ。
そしてあなたが死ぬとき、あなたの中では、少なくとも目の前のこの世界は確実に終わりを告げてしまう。
このことを総合して冷静に考えてみれば、次の結論が導かれる。
「この世界はあなたの意識の中に存在するのみである」という実に単純な結論である。
だからあなたは、逆に心を動かすことで、この世界の事象を変えることさえも可能なのだ。世界の中心はいつもあなた自身なのである。
よくこれまでの自分を振り返って考えてみるといい。
どんなときでも「世界を見ている主体」であるあなたが世界の中心にいたはずだ。
このことは古来仏陀を始めとした実に多くの賢人が、そのことに気づき人々に伝えようとしてきたことであり、私の感覚では科学に近い真実といっても良い位の事なのであるが、学校では教えてはくれない。
そしてもちろんメディアで取り上げられることもない。
人々が世界の真実に目覚めてもらっては困るからなのかも知れない。
操縦席から見える景色
このように考えてくると、マスメディアの伝える「不安」や「怖れ」がどのようなものなのか、その位置づけもはっきりしてくるのではないだろうか。
それは上記にも述べたように、本当は「遥か遠くのどこかで起きているテレビドラマのようなもの」であり、私たちの人生においてはどうでもよい周辺事情に過ぎない。
以前、この世界は仮想現実空間であり、私たちはその中で「どう考えるか」を試されているパイロットのようなものであると書いたことがあるが、そう考えたとき、その操縦席から見える目前の範囲があなたのフィールドであり、あなたがクリアしていくゲームステージとなる「今ここ」にある現実ということになるだろう。
そしてその操縦席からは、遠くに実に色々なものが見えるが、それは単なる景色に過ぎない。
マスメディアは今日もご苦労な事に、
「これからどんどん大変な事が起きる」
「2000万円ないと老後は生きていけない」
「また新しい病気が・・・」
「戦争が始まるかも・・・」
「大地震が・・・」
「大津波が・・・」などど日々不安を煽りまくっているが、
あなたにとっては単なる景色の1つでしかない。あなたにはおそらく関係がない。
だから「ふーん、そうなんだ」と軽々流してしまってよいのである。
あなたがそのような事を望まない限り、決してそんなことにはなりはしないのである。
私も長い時間をかけてようやくこれが理解できるようになった。世界はおそらくそのようにできている。
そしてそうやって「不安」や「怖れ」を受け流すことこそが、引き寄せを上手く動作させるための一番のコツである。
未来は常に明るい。
幸運な未来を招くためのやり方は、実に簡単である。
わくわくした気持ちで毎日を生きればよいのだ。