見出し画像

レイニー、コクトー・ツインズ。

※有料記事設定ですが最後まで無料でお読みいただけます。
この記事は文芸サークルお茶代10月課題【思い出のドライブミュージック】と【地元ダイバー】を何とか組み合わせて書いてみた記事です。

文芸サークルお茶代

レイニー、コクトー・ツインズ。

 その記憶は雨だった。雨の日の車中に、コクトー・ツインズが流れていた。
 前回『駅と川と』という記事で私のふるさとらしきものに触れたのでまた生まれの話をするのは恐縮なのだが、私は首都圏のとある政令指定都市の生まれだ。政令指定都市と言っても煌びやかな都会は市の本庁舎がある自治体や、ターミナル駅のすぐそばなどで、私が住んでいた地域は住宅街や畑、谷戸、雑木林の多く残る地域だった。バブルの名残でニュータウン開発などもあったため、東京で言うなら立川や聖蹟桜ヶ丘みたいな「緑が多いけど小洒落ている」街並みがあって、それがなんだかハリボテっぽくてとても好きだった。
 ただ何度も言うと、私が育った町並みはそういう小ぎれいさとはまた違って、トラクターに乗ったおじさんとかモンペを穿いて農作業をするおばあさんとかがすぐ近くにいて、その延長線に創作カジュアルフレンチの店があって、中学受験をさせたいママたちがランチをするみたいな、そういうごちゃまぜ感の中にいた。最寄りの駅前にはスーパーと古本屋があって、稲垣足穂だとか澁澤龍彦だとかが置いてあるので私は学校帰りに立ち寄った。今スーパーは宗教団体の施設に変わって、古本屋はビルと道路の工事のために立ち退いた。
 そんな土地で駅にも歩いていけるようなところに育ったが、移動のメインは車だった。家族全員で電車に乗った記憶はほとんどないが、家族で車に乗っている記憶はいくらでもある。旅行も動物園もファミレスもスーパーも、歩いていけないところは全部車と言っても過言ではない。そしてその移動の車中には大体音楽が流れていた。
 父母共に、洋楽が好きなんだと知ったのもいつ頃だろうか。日本で流行っている日本の音楽アーティストが車の中で流れることは少なかった。というか母親には「あなたが生まれて、産婦人科から退院するときには車の中でセックス・ピストルズをかけていたの」と言われ、嬉しいような複雑なような気持になったことがある。とはいえ、私が小学校高学年から中学生の頃は私が聴きたいといった曲が車の中で流れるようになった。小学校6年の頃に私はglobeにハマりだした。あとアニメのるろうに剣心を見ていたら父がJUDY AND MARY を気に入ってアルバムを買った。こんな感じで我が家にもJ-popやJ-rockが輸入された。なんというか、子供の私にしてみれば父も母も、音楽の好みにうるさい人というイメージだったので結構私も気にしていたが、例えばglobeにしても「この曲のこのメロディーはきれいだね」とか、まだ英語の歌詞がわからない私に対して解説してくれたりすることは嬉しかった。
 高校生くらいになると私にも格好つけたい時期がやってきた。もともと中学の時にヴィジュアル系に足を突っ込んだのだがいまいち馴染めず、そして服装はゴスロリになりつつある頃「ガツンとロックな感じでかっこよくてでもダークな感じの曲を聴きたい」という願望が芽生えた。そのころに出会ったのがQueenAdreenaである。たしか当時の愛読雑誌KERA.にセカンドアルバムの紹介がされていた。私は勇んでタワーレコードに行き、アルバム『Drink ME』を購入した。そして熱中した。それから私は洋楽に興味を持ち始める。それはつまり、車の中でよく父親が流す曲に興味を持つことにもなっていた。私がすごく気に入ったのはノルウェーのFLUNKというバンドだった。FLUNKは少し気だるいような(今風ならチルい?)冷たくて甘いような音がして好きだった。
 あれは高校生の頃かそれとも二十を越えてからか。そのころ私はCoccoとかQueemAdreenaとか椎名林檎とかFlUNKとかSUM41とか、だいぶ自分が熱中する音楽を自分でも見つけられるようになっていて、バウハウスかっけー、などと言い出したい頃だったと思う。
 雨の日で、車の中は父と二人だったから、駅まで送ってもらうとか母親が出かけているからご飯を食べに行くとかそんな日だったんだと思う。
コクトー・ツインズが流れていた。私は心の中で「FLUNKとかちょっと似ているけれど、やっぱり音が古い感じがするや」などと思っていた。コクトー・ツインズは70年代から90年代に活動していた音楽アーティストなので音が古い感じがするのは当たり前なのだが。ただ、湿った灰色の雲と滲んだ信号機の赤に覆われた町並み、ニュータウンと畑と道路が入り混じった町並みに、透明な雨しずくをまとった助手席の窓硝子のことをよく覚えている。そしてその景色をコクトー・ツインズの音が包んでいた。
 大人になるにつれ、90年代的なもの、と勝手にわたしの中で定義しているものに郷愁を抱くようになった。いや実のところ子供のころからである。いままでほかの記事でも何度か書いてきたことだが、例えば新横浜駅周辺の、整然としたオフィス街や巨大なスタジアム、第三京浜のインターチェンジとその灯り、そのすぐ隣に古いラブホ街や遊水地、昔からある農地と古い家、それらが合わさった風景には泣きたくなるような胸の締め付けを感じて生きてきた。よく遊んだ川辺は倉庫街で工場街で、そこからすぐススキやセイタカアワダチソウのうっそうとした繁みがある。
 乾いているものと湿っているものが、硬いものと柔いものが、無機的に見えるものと有機的に見えるものが、ただ隣り合っている風景。それを肌の一番上のところに触れさせて生きるという感覚。それが私の、今まで生きてきた記憶でもある。
 大人になってから好きになった音楽アーティストにdaughterがある。聴くにつれ、FLUNKとコクトー・ツインズのことを思い出した。DaughterもFLUNKも、雨の日や気温の下がってきた日によく合うのだ。そして気づくのは、コクトー・ツインズが先にあるからdaughterやFLUNKがあるんだということ。また、最近はYouTubeで80年代や90年代のテレビCMをまとめた動画を見たのだが、そこで使われている音の感じがコクトー・ツインズを彷彿とさせるようなものがいくつもあった。恐らくは、そういう音が当時の世界全体のトレンドのひとつだったのだと、今にしてようやく気付いたのだった。 
 実は先日感想を書いた『ヘルタースケルター』を読むときも頭の中には80年代から90年代の、つまりはコクトー・ツインズに似た音が私の頭の中には流れている。こう書いていくと、自分の起点がどこにあるのか地図になっていくようで大変面白い。どんな音楽を聴いていたのか、どんな場所に住んでいたのか、感覚はどのようにリンクしていくのか。
 先日、雨の中を車に乗る機会があった。せっかくなのでコクトー・ツインズを流した。一つも曲名を知らないのに、耳だけが覚えている曲がいくつかあった。雨の町は灰色の雲に信号機が滲んで、透明な雨しずくが助手席の窓ガラスを覆っている。コクトー・ツインズの、透明なのにノイジーな感じのするあやうい音は、冷たい曇りガラスをなぞるようで心地よかった。

おまけ
FLUNKとかdaughterとかコクトー・ツインズを好きな人へ。
東名高速道路の御殿場や足柄のあたりの、山に囲まれて霧が出やすいハイウェイのなかで聴くとすごく気持ちがいいです。山に木々と霧にハイウェイのアスファルトや街路灯が整然と光る様子はまさしく無機的なものと有機的なものの並びで、矛盾しながら存在している感じもとても良いです。
それではみなさん、素敵なドライブミュージック生活をお楽しみください。

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?