雑記|君の強さと僕の弱さを、分け合えば。
皆さん、ご無沙汰しております。
本日もアクセスいただきありがとうございます。
卒論を言い訳にして、1月はあまり更新できていなかったのですが、色々なインプットをして、自分の中で感情がぐるぐるし始めてきたので、ここで少し整理してみたいと思います。
整理するといいつつ、ふわっとした結論と、結論までのとりとめのない記述になってしまいました。。
私はここ2-3週間、自分の弱さに向き合う場面が多くあり、少しだけ苦しいです。
その弱さとは「妥協できない」ことです。
周りから見たら、頑固なのか、諦めが悪いのか、自分とは違う考えを受け入れる能力が低いのか、、。シンプルに完璧主義というだけかもしれない。ただ、自分の中に溢れてくる感情に、悶々としています。
妥協できないという話をする前に、そもそもの強みと弱みに対する私の解釈を書いておきます。
大前提、「これは強みだ」とか「これは弱みだ」という絶対的なものはないと思っています。例えば、自己PRで「私は好奇心旺盛で、様々なことに積極的に挑戦することができます!」と話す人が居たとして、この場面では強みとしての解釈ができますが、「色々なものに手を出してしまって、全部を最後までやりきるのは難しいんだよね。ちょっと飽きっぽいかも。」となれば、弱みに転じるわけです。(そしてこれも私個人の解釈にとどまっています。)
そもそも強みと弱みは表裏一体であり、弱みは強みを自分でコントロールできていない状況の現れです。一人ひとりにあるのは「性質」「性格」であって、それらは解釈次第で、強みとも弱みとも考えることができます。
そのうえで、なせ私が「弱さ」という言葉を使って「妥協できない」ことを語ろうとしているのか。それは前述の通り、私のこの妥協できない性格が、現状自分を苦しめており、自分でコントロールできていないからです。
ここでいう「妥協できない」という表現は、私の中では、「諦めが悪い」ということではありません。興味が持てないことには本当に興味が持てないのでそもそも始めないし、自分にこだわりがないものについてはキッパリ諦めます。そこに意志はあまりありません。要は「なんでもいい」というやつです。
逆に言えば、意志があるものについては「妥協できない」のだと思います。全く。
そして、最近は手を抜く(というよりは要領よくやるの方が表現がしっくりくるかも)ことを覚えたものの、元々の性格は完璧主義な人間なので、妥協しないとなると、もうそれはそれは大変というかなんというか、、、。簡潔にいうと、調和性を失ってしまいます。
もし、この妥協しないという行為を他の言葉に言い換えるのであれば、自分の倫理観に反するものは原則やらない(その逆も然り)という表現になるでしょう。倫理観をわかりやすく言えば、「人を殺さない」とか「暴力をふるわない」とか、そういうことです。あえて難しく言うなら、「人の不幸が既に見えている選択肢をとらない」とか、「鈍さが伴う強さは必要ない」とか。
そしてこの倫理観もまた、価値観(仮説)と同じで、時間が進むとともにアップデートされていくものだと思っています。
私は今、もう少しで学生という立場を捨てる身にあり、これまでに感じてこなかったような多くの倫理観・価値観と接触することになるのではないかなと推測しています。もちろん、これによる良い側面も、そうでない側面もあります。ただ、今の私は「そうでない側面」を必要以上に強く意識してしまっているような気がするのです。(実際、これまでに最も密度濃く社会と接したであろう、就活の時期に得てしまったトラウマは、いまだに解消できていません。)
そして、それはすなわち、今私が直面しているような「妥協できない」といった感情が湧き起こり、弱さに直面する機会が増えるということなのではないかと考えています。それも今までに感じたことないスピードで。
そんなとき、私はどうしたらいいのでしょうか。
この不安が、悶々とする原因であり、私の中でぐるぐるしている感情を生み出す原因になっています。(多分)
ですが、残念ながらひとりでこの不安について考えていても、どうにもなりません。むしろ負のエネルギーを増大させます。(もちろん、このように文字起こしすることで一時的な鎮火は可能ですが、しばらくしたら、また燃え上がってきます。)
そう考えると、私に今できることは、周りの人に助けを求めることなのではないかと。そう思うのです。
大変ありがたいことに、私の周りには自分を助けてくれる人が必ずいます。というよりは、そう信じていると言った方が、表現としては違和感がないかもしれません。
周りにいる人が、自分に手を差し伸べてくれると信じ、声をかけ、「あなたの強さと私の弱さを分け合いたい。」と、率直に伝える。そうやって、自分の弱さを認めながら進んでいくのが私の人生の歩み方なのだと、今は思います。
ちなみに、今日のこの記事のタイトル「君の強さと僕の弱さを、分け合えば。」は、あいみょんの「ハルノヒ」からとっています。
もともとあいみょんの曲はよく聞くのですが、こういうときに改めて聞くと、すごくグッとくるんですよね。
このハルノヒ自体は、一般的には「家族」とか「恋人」とかそういう関係性が想定されている曲だと思うんですが、孤独を感じる瞬間が他の人よりほんの少し多い、私のような人間の背中をそっと押してくれるような1曲になっていると感じます。
話を戻すと、結論はものすごくシンプルで、今の私は「助け」を求めているということ。妥協できないという自分の弱さに向き合うきっかけになった出来事については、幸いなことに、すでに相談できる環境ができているので、サポートしてくださる方との対話を通して、自分の不安に対処していこうと思います。
こうして自分の弱さに対して感情的になるたびに、いかに自分が周りに生かされているかということを強く感じます。改めて、感謝の気持ちで心が一杯になります。
このnoteでは、「妥協できない」自分への直接的なアプローチ自体は一旦横に置いていますが、周りの人の言葉に耳を傾けたうえで迎える来週の今頃には、また新たな考えがうまれて、もう少し感情が整理できているのではないかなと思います。
ちなみに、今持っている解決への道筋(仮説)は以下の図のイメージです。私は、対話やディスカッションを通して、妥協ではなくWin-Winを、シナジーを作り出したいのです。
人はもともと分かり合えないんだという視点に立ってみると、これがより強調されます。(私は、人は分かり合えると思って生きて時々苦しくなるときがあります。)
名著といわれる、スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣」にも、シナジーとは、お互いの違いを尊重し新しいものを生み出すことだと書いてありました。
前提として、このことは非常に難しく、簡単なものではありませんが、「シナジーを生み出していく」ことを意識したコミュニケーションを積み重ね、時間をかければ、きっとできるようになるはずです。このようにして、本質的な課題解決に向かっていきたいのです。これもまた、妥協できないことのひとつです。
ここまで文字に起こしてみると、少しだけ不安な感情も落ち着いてきました。
まだまだ未熟だなぁという気持ちが、色々な価値観を知れば知るほど、行動すればするほど、勉強すればするほど、増していきます。
これから先も、自分の感情に向き合う瞬間を、こうして紡いでいこうと思っています。引き続き、温かいサポートをどうぞよろしくお願いいたします。最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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