2回目の手術
結局停電は3日くらい続いて、外で火を起こして冷蔵庫の中のものを一掃したり、なんだかんだ特に困ることもなく過ごした。病院でいるよりも家族のみんなといるほうが絶対によかった。でもまだ余震が続いていたから、11日に手術で大丈夫なのかはずっと不安だった。術中にまた大きい地震きたら?少しでも間違ったとこ切ったら死ぬって言われたけど、余震は大丈夫なの?本当にやるの?不安になりすぎて1度、澤村先生に電話した。余震あるけど手術は大丈夫かなって。先生はきっと自分自身もばたばたしていただろうにすぐ電話出てくれて、これくらいなら大丈夫、もうすぐ電気も戻ってくるから手術しちゃおうって言ってくれた。100パーセントなんてないことはわかっているし、そもそもハイリスクな手術だからもう今更悩んだってしょうがない。先生が大丈夫を全部信じようって思った。停電の暗闇のなかで、家族みんなで人生ゲームしたりお化け屋敷ゲームしたりしてとても楽しかった。私は家族といるのが楽しい。いろんな面が自分も含めそれぞれあるけど、それをひっくるめて私はこの家族に生まれることができてよかったと心から思う。
手術前日にもう一回入院して、また一応同じ説明を受けて、次の日今度こそ手術を受けた。こっちの病院は手術室も本当にきれいだった。きれいだからこそあれだけ生きている人が動いているのに無機質で、明るくて、静かで。今思うと少し死に近いと感じたのかもしれない。飼い犬のJくんを亡くした時の印象が、私の死のイメージ。明るくて、静かで。それはさみしくて、ただたださみしくて、でもなぜか私の心が救われる明るい静かな、そんなもの。あの時からきっと私の中の死は変わった。もう一頭のUちゃんの時もたくさん泣いたけど、私はいつか、それこそもし手術で目を開けなかったとしてもあそこに行くのだと、JくんととUちゃんがいる静かで明るい場所に行くのだと思うとあまり怖くなかった。あぁ、だからこわくなかったのかな。私は何を選ぶかを決めるときは本当に悩んだけど、手術中に地震が来ることもすごく怖かったけど、死は一貫してあまり怖いと思わなかった。それこそ今も。失うことや痛みやそういうものは怖い。でも、死はあまりこわくない。それはきっと、あの子たちが教えてくれたから、あの子たちがいる場所だと思えるからだね。
開頭手術の時は頭蓋骨を開ける音がするなんて聞いていたから、どんなもんだと思っていたけど全く分からなかった。1回目の手術と同じ、あたりまえだけど目が覚めたら終わっていた。手術が終わって、多分手術室から出る時だと思うけど、最初に聞こえたのは澤村先生の声だった。全部の感覚が抑えられているなかで、最初に入ってきたのが澤村先生の声だった。先生が「無事に終わったからね。ちゃんときれいに取ったからね」って私に言ったのがわかった。目も開かない朦朧とした頭で、澤村先生の声だけが聞こえて、何を言っているかはかろうじて理解することができた。そんな状態で私は、反射的に「ありがとうございます」が口から出た。命を救ってもらったのだから当然なのだけど、でも私はこの時、考えることなく、意識ももうろうとしている状態でも、きちんとお礼を言えた自分は間違ってなかったって思えた。今まで積み重ねてきたものは間違いじゃなかった。いろんなことあったけど、全部無駄じゃなかった。間違いじゃなかった。私の人生、間違いじゃなかった。今でも思う。あんな状態でも反射で、息をするようにお礼を言えた自分は、自分がこれまで生きてきた人生は間違いじゃなかったって。それは今を含め、この先の人生を生きるうえで、とても大きな救いになってる。自分を生きやすくした大きな要因の一つだと思う。この時の自分がいたから私は私を許せるようになったし、認めるようになったし、尊敬とはまた違うのかもしれないけど自分の人生に歩いてきた時間に一部満足できたというか、納得できた。受け入れられた。だからこそ今「まぁいっか」って許容できる範囲がぐんと広がったように思う。