1回目の手術

私の頭痛は、水頭症によるものだった。頭の中を流れる髄液という液体の流れが、腫瘍でうまくいかなくなって、頭にたまること脳内の圧力が上がって痛みが出ていた。たとえるなら、自分の頭より一回りも二回りも小さいヘルメットを無理やりかぶせられているような、そんな痛みだった。

だから1回目の手術は水頭症を改善すること、病変を病理検査に出すために一部採取することが目的だった。緊急搬送されてから手術まで結局2週間くらいあってその間ずっと頭痛くておかしくなるかと思っていたから、1日でも早く手術がしたかった。

病院①での私の主治医は、30代くらいの物腰が柔らかい優しい先生だった。一度検査中に貧血を起こして病院で倒れた時にも、先生は手術中だったみたいなのにすぐ来てくれた。(脳外科の病院はどこもそうなのか知らないけど、私が入院していた病院は患者が急に倒れた時用のボタンみたいのがあった。私が倒れたときは対応してくれていた看護師さんがそのボタンを押してすぐに、わらわらどこからともなく先生方が合計10人くらい集まってきた。すぐにストレッチャーに乗せられて脈とか血圧とか瞳孔反射とか意識確認とかいろいろされて15分くらいしたら大丈夫だね~って言ってみんな散り散りに戻っていった。なんかすごい大ごとになってしまったってもうろうとした意識の中で思ったし、このシステムなかなか強烈だなぁって思ったのをすごく覚えている)

前日までに手術に必要な検査(心臓の血流?の検査とか、首元の血流?とか、心肺機能、24時間心電図、などなどこの時が一番たくさん検査したような気がする。自分の心臓が脈打っているのを見ながら、胎児みたいだなって思った。自分の意思とは関係なく動いているのがすごく不思議だなって思った)をして、前の日の夜に先生が病室で脳の機能?の検査をした。100-7してどんどん7を引いていってくださいって言われて、単純に頭悪くてできなかった(具合悪かったっていう言い訳)。家族みんなに笑われた。みんなが笑ってくれてよかった。

当日は控室で家族みんなと待っていたら、先生が手術室までランニングみたいな感じで走っていくのをみた。アップしてるって妹弟が言うから面白くなってみんなでげらげら笑った。呼ばれて、私だけ奥の手術室に向かった。この時はまだあまり怖くなかった。リスクはあるけど、頭が痛すぎてそれよりも早くどうにかしてくださいって感じだった。

普通に歩いて手術室に入った。みんなに笑って手を振った。そのあとはあんまり覚えてない。この手術の時は、マスクをして口から麻酔を入れた。多分何回か呼吸したらすぐ意識なくなったと思うけど、正直この辺はあんまり覚えてない。

気が付いたらICUに移されていた。病院①のICUは本当に地獄みたいだった。まず起きたときに、脳から直接管が出ていた。(何て名前だったか忘れた)当然自分では見えないけど。今思えば写真でも撮ってもらえばよかった。脳圧が高くて髄液の量を確認する必要があったから管が出たままICUに運ばれたらしい。

とりあえず目を覚ました段階では、目元がべたべたして眼鏡もしてなかったからみんなの顔わからなかったけどICUについてから目が覚めて、家族が近くにいることが分かった。でも妹弟は管が出ている私を恐ろしがって近づけなかった(らしい)。

麻酔がだんだん冷めてきて周りの状況とか少しずつ分かるようになってきて、どんどんしんどくなった。周りの人の苦しむ声とか、意識ない人への看護婦の対応とか、看護師が1秒もじっとしていなくて、常に何十人もの人間が動き回り話をし、その中で緊急のボタンの音とか、人が運ばれてくる音とか、とにかくせわしなくて騒がしかった。

私の性格的に、多分自分が最も苦痛だと思う状況で、人間の最も見たくない部分をいやでも感じざるを得なかったから、私にとってあそこは地獄だったと思う。麻酔が覚めるにつれてどんどん頭が痛くなってきて、手術したのになんで、ってどんどん不安になった。飲み薬も痛み止めの点滴もしたけど全く効かなくて、呼吸が苦しくなって酸素吸入をした。

目がべたべたしてあかないって言ったらワセリン拭きますか?と言われた。術中は目があいて乾いたりしないようにワセリンを塗るらしい。そんなこと知らないし聞いてないし、薬の作用で目が開きにくいのかと思っていた。あとは麻酔が覚めてきて意識がはっきりした後も、しばらく動かないでいたら看護師に多少なら動いてもいいですよって笑われて、え?いいの?動けるの?と思って動いてみたら動けた。なんだ、もう動けるのか、思った。

でも頭の管が恐ろしすぎて、私の真横で看護師が新人の看護師に万が一抜けたときの話とかするから余計怖くて、ほとんど動くことなんてできなかった。両足にエコノミー症候群を予防するポンプみたいなものをつけられて、ベッドにつながっていたから足も動かないし、点滴の管があるから右手も大きくは動かせないし、自由に動くのは左手だけ。夜も一部は蛍光灯が付きっぱなしで、大部屋に仕切りは全くなくて、夜の話している看護師たちの話が鮮明に聞こえて、それは死にそうな人がたくさんいる場所でするとは思えないくらいあっけらかんとした世間話だったり患者の話だったりで、それも嫌で、何もかもにイライラして頭も痛くて苦しくて眠れなくて、結局一睡もできないまま多分10時間以上そこで苦しんだ。とにかく頭痛くて、でも飲み薬も点滴も目いっぱい使っているせいでそれ以上のことは何もできなくて耐えるしかなかった。

痛いし、痛いことが不安だし泣けてきて、でも満足に顔をぬぐうこともできなかった。精神的におかしくなるかと思った。お見舞いに来た家族に自分は不幸だとか愛されてないとか、とにかく訴えるおばあさんの話が耳障りでしょうがなかった。採血がへたくそな男の看護師のせいでパンパンに腫れた腕が痛かった。新人を教育するための強い口調や話を目の前で感じるのが嫌だった。患者の出入りが多くて、ものみたいに扱われるのがとても嫌だった。


「この患者さんどこいったの?」「術中に亡くなったって。」「じゃあカルテいらないね。」

患者さんの髭剃りながら、「あ、血が出ちゃった。ごめんね~」

「〇〇さん起きて~いつまで寝るの~」「今日も起きないか」

ここは、何?て思った。地獄があるとすればここだと本当に思った。それぞれのベッドの上に、緊急用の赤いランプがずらっと並んだ部屋。ピッピッと心臓が動いていることを伝える電子音。ふいになるブザー、どれもこれもあの時の私にとって苦しいものでしかなかった。時間もわからず、動くことも逃げることもできない、こんな状況が地獄なのだと本当に思った。もう二度と、絶対あそこにはいきたくないって今でもとても強く思う。

何時かわからないけど、一度看護師の交代?があった時に、やっと朝だと思って安心したけどただの交代で、そこからまた何時間も耐えることになって、その時はもう叫ぶかと思った。何とか一夜乗り切って、部屋の電気が全部ついて、今度は本当に朝が来たと知った。この部屋には窓がなくて外の様子が全く分からないことも、とてもしんどかった。スタッフの朝礼みたいのが始まって、人が増えて、朝ごはんが運ばれてきたけど私の分はなかった。多分、その時くらいに足かせが外れた。足が自由に動くようになっただけで随分と楽になった。

しばらくして、担当の先生と一緒に手術してくれた(らしい)担当の先生よりもう少し歳をとったおじさん先生が来た。調子を聞かれて、頭痛いと答えた。髄液の状況を見た先生が、まだ脳圧が高いね、もう一日ICUで様子見たほうがいいねって言われて泣いた。一日で出られるって言われたから何とか耐えた。もう一日なんて考えられなかった。先生方が困って笑うくらいに泣いて懇願した。ここから出たい、ここから出たいって。

でも脳圧が下がらないまま管を抜くことはできなくて、ICUから出るにはどうしたってこの頭から直接出ている管を抜く必要があった。それでも私は何とかしてここを出たいってとりあえず訴えた。おじさんがいなくなってから主治医の先生がお昼まで様子見て、さっきの先生とも相談して決めるからもう少しだけ待ってと優しく話してくれた。これ以上はどうしようもないのだろうと思って、とりあえずその時は黙った。

待っている間もいろんな声を聴いた。こんな時でも人間観察してたんだなぁ私。最近強く感じるけど、私はいろんな音が鳴っている、いろんなところでそれぞれに人が話している、そういう場所がとても苦手なのだと思う。全部の音を拾ってしまって、耳に入ってしまって、取捨選択ができないせいで脳がバグってしまう。情報の処理ができなくなってしまう。この時はまさにそういう状況だったと思う。とんでもない量の情報がいろんなところから入ってきて、満足に前も見えないから余計いろんな音を耳で拾って、その情報は目で入るよりもなぜかとても鮮明で、とにかく自分をすり減らした。

昼ごはんが運ばれてくる前に主治医の先生が来て、脳圧はやっぱり少し高いけどここにいるのもどうしてもいやみたいだし、管抜いて病棟に戻ろうっていってくれた。本当に安心した。

じゃぁ、管抜くねって言われて、ベッドの周りのカーテンが閉められた。まずカーテンあるのかよって思ったし、移動するの?着替えるの?麻酔またするの?いろいろ思った。でも特にこの病院のICUは作業の流れができていて、患者が理解する前にあっという間に勝手に話が進んでしまう。先生が説明してくれたのは、麻酔の注射をするほうが痛いからこのまま麻酔なしで処置したほうがいいって話だった。

このままって、縫うのもこのまま?痛い?て聞いたら、ちょっと痛いけどすぐ終わるよって言われた。ほんとかよ、と思ったけど選択肢なんてないから先生が言うままに体勢を変えると、術部に穴の開いた青いビニールシートをかけられた。先生はマスクと帽子と手袋して、テレビとかでよく見る手術する人になった。手術するんだなぁって思った。ヨードチンキでべちゃべちゃに傷口濡らして、管と頭を仮止めしていた糸を切る音がした。じゃぁ抜くよって言われて、管抜かれた。

脳みそから直接管を引きずり出されるのは、なんとも形容しがたい体験だった。よくほかの人にこの状況を説明するときに言うのは、「エイリアンに脳みそ吸われたような感じ」。耳が近いから音がすごき大きく聞こえて、ずるるる…って本当に頭の中から音がして、そのあと2針縫われた。痛かったけど抜かれた衝撃が大きすぎて、正直縫われた感覚は何なくしか覚えてない。抜かれた管をまじまじ見ることはできなかったけど、薄いビニールのストローみたいな感じで、意外と長くて、糸で頭とつながっていた部分も思ったよりしっかりしていた。案外頭動かしても大丈夫だったのかなと思った。地獄の一晩で自分の髄液は何度か眺めて、これが自分の中に流れているんだなぁと思った。薄黄色の透明な液体。なんとなく、体液って感じだなって思った。

手術の時に縫ってもらった部分はホチキスで留まっていて、管が入っていた部分は糸で留められた。終わった後、若干皮膚がつっぱるような気もしたけど、管が入っていた時とたいして変わらなかった。そのあとからベッドの背もたれを上げて上半身起こせるようになって、おしっこの管抜いて、やっと自分が動きたいように動けるようになった。でも体を縦にした時点から管が刺さっていたところの髄液が、頭の内側から縫った部分にあたるようになった。

自分の感覚としては、髄液が噴出しているような感じ。自分の心臓の拍動に合わせて、傷口にぶしゃーって髄液があたっているのを感じて、傷から漏れ出てないか、吹き出すてないか本気で心配した。それくらいの勢いだったし、音もすごかったし、傷にあたっている感じがあった。鯨の潮吹きみたいな感じで、いつ噴き出すかと気が気じゃなかった。

とにかく動くと吹き出しそうだったからできるだけ静かにしていたかったけどICUから出るための準備でばたばたした。1秒でも早く出たかったからしんどかったけど我慢した。術後初めて出された丸一日以上ぶりのご飯は、いきなりカレーとメロンだった。まわりにはおかゆとか食べている人もいた。正直あれは、今考えても病院側の連絡ミスだと思う。丸一日ぶりのICUにいる人間の食事がいきなりカレーなわけない。食べさせる気がないのだろうと思った。ご飯担当のところにICUの患者だと連絡がいってなかったから、一般病棟の食事と同じものを出されたのだと思う。頑張って口に運んでみたけど、頭は痛いし髄液は吹き出しそうだし当然食べられるわけなかった。結局二口くらいであきらめて、下げてもらった。

車いすに移動して、点滴はついた状態で手術の次の日に私はやっと地獄のICUから出ることができた。この病院にいる間はずっとなにかしら手に針が入っていて、しかも何度も失敗されるから腕が針の跡だらけでひどいことになった(いまだにうっすらわかるところもある)。

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