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持病について振り返る(ついつい忘れてたけど思い出す)
最初の記事に記載した通り、私には多発性硬化症という持病があります。
同じ病気で有名なのは、落語家の林家こん平さんです。
※こん平さんは2020年に永眠されましたが、多発性硬化症が原因ではなく、誤えん性肺炎という病気で亡くなりました。
発症1回目
私がはじめに発症したのは、高校三年生のとき。
突然片耳が聞こえにくくなり、同じ片側の顔面だけが麻痺しました。
最初は気のせいだと思っていたところどんどん違和感は強くなり、戸惑い、混乱しました。
いくつかの病院を回った後、脳神経内科クリニックで撮影した大脳のMRI画像を見て医師が言ったことが以下です。
「画像を見ると、多発性硬化症の可能性があります。
ただし、一度の発症では確定診断は出ないので、様子見としましょう。」
多発性硬化症=難病 であり、完治させるための治療法が現状無い。
当初は日本では患者数が少なく、10万人に4人程度しかいない。欧米の方では患者数が多い病気。
再発するまでどこに症状が出るか分からず、今回のように麻痺だけでは済まない可能性もある。
...こんなことを言われ、とてつもない恐怖心に襲われ、病室で母親の隣で涙したことを今でも鮮明に覚えています。
なんで私が?
再発した時にどこに症状が出るか分からないなんて、怖すぎる。。
結局この時はビタミン剤が処方され、10日程度で耳の違和感と顔面の麻痺はなくなりました。
その後特に再発らしい再発はなく、高校を卒業。
大学に入り、関東で一人暮らしを始めました。
何事もなく1年、2年、と過ぎていき、多発性硬化症のことはすっかり忘れていました。
大学2年次終了後には、大学を休学して海外留学までしました!
留学中も、異常なしです。
よかった〜もう大丈夫そう、私は難病じゃなかったんだ!
と信じて、日本に戻ってからも楽しく大学生活を送っていたある日。。。
発症2回目
復学した大学3年の間に、ついに再発してしまいました。
この時の症状としては、片腕の麻痺です。
なんとなくの違和感から始まり、治らない麻痺に不安と認めたくない少しの確証を持ちながらも、一番近い総合病院に行きました。
高校の時に一度可能性があると言われた経験を伝え、MRIも撮影し、出た診断はやはり多発性硬化症でした。
確定診断です。
この時は1人での診察だったのですが、医師の前で必死で涙を堪えたけど、我慢できなくて、ポロポロ泣いてしまいました。
自分が難病だって、しかも治らない病気だなんて、認めたくなかった。
将来叶えたい夢もある。それはどうなっちゃう?
いろんな不安が一気に押し寄せてきました。
ここからはだいぶ私個人目線の内容で、
自己注射など、これまで使用した薬について
薬剤性アレルギーを起こして死にかけた話
はじめての治験の話
MRI画像
などを載せるので、念のため有料記事とさせていただきます。
興味のある方は、見ていただけますと幸いです!
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