感じたことをそのまま書き留めると自分のかたちに影が伸びた
ロードムービーのようなにっき
丸一日、何かを感じたら、何を書こうと意識せず
浮かぶままに書き留める
ー朝
誰かの落としたゴミを拾ったら
靴紐が解けかけていることに気づけた
☆
いつも通りの時間に詩を掲載したら
少しずつ人が集まるみたいにスキをつけて頂けた
あぁ少しずつみんなが一日をはじめてゆく
のだなあと感じた
☆
ウェットティッシュに手を伸ばしたら
中身が空のままだったから、詰め替える
誰かのためではなく、自分のためにしたことが
たまたま誰かの役に立っているくらいが
ちょうど良い
☆
ふと思う
読み合い、スキを付け合うだけの人
全員とお話しをしたらどうなるんだろう
実はすごく気の合う方がいる?
実はすごく熱心に読んでくださっている方がいる?
実はまるで気が合わない人がいるの?
、と
まるでちょっとした内緒の答えあわせをする
みたいで楽しそう
そういえば最近お隣のおばあちゃんと
話をしていなかったなぁ
これとおんなじことだなあ
現実でだって話してみないと分かることがある
話してみたら分かってしまうこともある
現実ではあんなに偉そうに評してたら
嫌われちゃうだろうにどうしてか顔が見えない
だけで許されちゃうのはどうしてかしらね
☆
お手伝いをしているNPOの代表から電話がくる
誰かの記憶のなかにいること
誰かから連絡がくること
他の人には当たり前のことかもしれなくても
私には不思議なこと、貴重なこと
ありがたいな
オフィスに入って挨拶をする
当たり前のように挨拶を返してもらえる
セキュリティカードがないと入れないこの場所に
入れるということも含めて
自分自身が存在していること、そして
何かに属していることを実感する
◇
ー昼
ひとが動いているのを見るのは楽しい
けれど、根本的にひとが怖いと思っているから
自分自身は景色の外にいるような距離感と気持ちで
見ていることに気づく
何かに属しているのに、存在を認知してもらって
いるのに、自分だけそこにいないようにする自分は
少し卑怯だと思った
☆
仕事で電話をしていると、向こう側が見える
自分自身にどんな感情をこめているのか色のようなもので見える
(スピリチュアルなものではなくて輪郭は
おぼろげながら相手のことが見える感覚。
水の壁の向こうに人が立っているくらいの感じ
と言えば良いのかなあ)
同時に、私が私に見られている感覚がする
いや、それは第三者から見た自分自身を
意識しているということ、か
「社会的な存在」ということなのだろうなあ
◇
ー夜
いくつかの気づきは背中をあたりを押し流すような
時間の経過の末に流れてしまった
それらの私自身を自分で捨ててしまったような
気がして、誰に対してというわけでなく申し訳ない
ような気持ちがする
なんでだろ
なんでだろ、と思ったことを
突き詰める時間が欲しいなあ
☆
あと1時間もすれば日付が変わるというのに
帰りの電車の中にいる
眠るまでにすることを考える
明日することを考える
明日が来ると信じている私
明日が来ると思うのなら
もっと積み上げ型ではなくてバックキャストして
考えられるようになりたいな
少し遠い未来のことだって
考えたって良いんだよね
明日の自分が読み返したら
どう思うのだろうか
どれかひとつについて考えを深めたり
重ねたりすることが出来るかな?
何か気づくといいね、明日の私
たんなるにっき(その44)
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