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こわさないこわさ

雨が降ると使い捨ての感受性のフィルターは弱くなる。その分、人と対峙するたびに『怖い』という内側から出てくる感情ごと身構える。

私はいったい何について怖いと思っているのかを、帰りの電車のなかで、ひとりを作って考える。
そうして辿り着いた今日の答え。
人に傷つけられるのが怖いのではなくて、人を傷つけたり、迷惑をかけたりしないかが怖いのだ。

誰だって迷惑はかけるよ、持ちつ持たれつだよ。
あんまり深く考え過ぎない方が良いよ。
それこそが人に迷惑をかけているよ。
浮かぶ正論の声。
それはそうだと理解した上で、それでも身構えるからこそ自分自身を持て余す。

今日も配慮も優しさもたくさん頂いたと思う。私がそれをする立場にいたならば、大したことはしていないよ、という程度のことかもしれない。
とても嬉しくて、ありがたいことなのに、真っ先に『申し訳ない』という感情が浮かんだ。そして次に、『申し訳ないと思ってしまったことを申し訳ないと思う気持ち』が浮かんだ。そうして、マイナスの足し算は膨らむ。

こういうことを書くと悩んでいるのかと慮って頂いたり、励ましのお声をかけて頂いたりするのだけれど、悩んでいるのとは少し違うとお伝えをしたい。(もちろんお気持ちはとてもとても嬉しいということもお伝えしたい)

それよりももっともっと深く自分に向き合って、どうしてこんなに人の感情に過敏になってしまうのだろうか、どうしてこんなに遠慮してしまうのだろうか、について考えていかねばならないのだろう。
いや、考えてどうにかなることでもないかもしれないし、あるいは考えるから余計に過敏になってしまうのかもしれない。けれど、誰かのせいにして片付けることはしたくないし、できるならもっと生きやすくしたいと思う。

こう感じるのが私の特異なのか、すべからくみんなそういうものなのか、誰と同じで誰と違うかについてはあまり意味のないこと。特異だなんて思ったって、またそういうのをネタに悪く言われるのがオチなのだし、この問は共通項でくくることは解法のひとつではないと分かっているから。

たんなるにっき(その122)

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