私がnoteに投稿する理由について考えてみた。 きっといろんな人に「あなたのせいじゃない」「あなたが悪いわけじゃない」と伝えたいというのも理由の一つだ。 世の中には、自分を正当化するために「悪いのはあなただ」「あなたのせいだ」「こうなったのは、あなたが至らなかったからだ」と相手のせいにする人も多い。 心優しく素直なあなたは、相手の言うことを真にうけて「私が悪いんだろうか。至らなかったのだろうか」と思い悩んでいるかもしれない。 世の中には、あなたに罪悪感を植え付け、縛ろうと
偉くなると、どうして感情を抑えなくなるのだろう。 「偉くなったら周りにあたってもいい」 「周りが気を使うのは当然だ」 「部下が上司の機嫌を取るのは当然だ」 「不機嫌そうにしている方が、存在感を示せて、威厳があるように見える」 こんな風に思っているように見える人も多い。 これじゃあ、まるで幼い子どもみたいだ。 人として、退化しているのではないかと思ってしまう。 どうしてこんな勘違いが横行するのだろう。 残念ながら私は、今まで勤めた職場で、人格者だと思う人にまだ出会ったことがな
以前、母がらくらくホンを使っていたのだが、まぁ操作がわかりにくい😓 iPhoneとも普通のAndroid携帯とも違う、独自の仕様のため、周りの人に聞いてもわかる人がいない。それにやたらと重い。 ということで、母は、重いからという理由で、外出の時、持ち歩かなくなってしまった。 もはや携帯の意味がない。 アプリによっては、読み込めなかったり、うまく作動しないものもあるようで。 それに、やたらと携帯会社からのメールが届く。オプション機能を追加しませんかだの、その他、案内という名の
「私の企画書がなかなか通らないのはどうして?」 「稟議書が差し戻された理由がわからない」 こういうことで、日々悩んでいる人も多いのではないだろうか。 しかし、そもそも、さしたる理由なんて、はじめから存在しないのかもしれない。 「事前に申し送りをしていたのにも関わらず、稟議書が、よくわからない理由で差し戻された」といった声が、周りからよく聞こえてくる。 そういう場面を頻繁に目にするうち、そもそも、さしたる理由などないことも多いのではと感じるようになった。 ただ単に、自分の威厳
大切な人を亡くした時、人は自分を責めたくなってしまうものなのかもしれない。 でも、もう終わりにしよう。 もう十分に苦しんだ。 もう自分を許してあげよう。 「あなたの苦しみを理解してあげられなかった…」 その自戒は一生消えることはないかもしれないけれど…
父が肺癌で亡くなって、母が鬱になった。 私もいろんな本を読んだり、ネットで調べたりしたが、母の症状にぴったりと当てはまる記述や活かせそうな対処法にはなかなか出会えなかった。 どれも、鬱の本質をついてはいないように感じてしまったのだ。 これはもう、私が側で母の状態を観察して、鬱という病について見極めて、鬱のしっぽをつかまえるしかないと思い至った。 たとえ、自分が鬱になってでも… かなりざっくりとした説明になるが、鬱は、家族など大切な存在を失った悲しみや仕事や人間関係のストレス
私なりの、さびしさのやり過ごし方。
インスタなどでも、自然豊かな田舎に暮らしている人の、身近な風景を写した素敵な写真を見る機会が増えたように思う。 わざわざどこかに出かけなくとも、身近に豊かな自然があって、いつでも美しい風景を写真に収めることができる、これこそ、実はすごく贅沢なことなのではないかと思うのだ。 「今日は夕焼けが綺麗だな、ちょっと干潟に寄って写真を撮って帰ろうかな」 「雲がきれいだから、ちょっと近所の畑に寄って、空の写真を写して帰ろうかな」 私自身、そんな風に身近な風景を写真に撮って、インスタに
人生をデザインしよう。 これからは。 受け身ではなく、人生を動かしていこう。
面白そうな企画なので、3作品をエントリーしてみたいと思います。 1.薔薇に魅せられて 2.雲のゆくえ 3. 夕焼けと三日月 目にとめて頂き、ありがとうございます😊 Artgeneで作品を販売しています。 よかったら、覗いてみてくださいね✨ https://www.artgene.net/anemone_chityan
なんだか話がおかしい。 本人から聞いた話と違う。 仕事でこういうことが度々起こる。 人は自分にとって都合の悪いことは話さない。 それが、本人からの話だけでは状況把握が難しい理由の一つだ。 肝心な部分が抜け落ちている場合が多い。 諍いや裁判などでもきっと、同様なのだろうなと思う。
正解も間違いもない世界に行きたいのです。 すべては人間が作り出した幻想なのだから…
気付けば間違い探しをしている。 何かうまくいかない時、真っ先に「何が間違っていたのだろう」と間違い探しをしてしまう。 テスト問題の間違い、苦手の克服。 思えば学校でも、繰り返し、間違い探しの訓練を受けていたようなものだと思う。 この思考から抜け出す方法はあるのだろうか。
休みの日はとくに、あなたの不在が堪えます。 ビーちゃん、恋しいよ…
日本語の文字が好きだ。 特に、本の明朝体の文字が。 明朝体の漢字とひらがなが織り交ぜられた文章の造形美。 漢字のしなやかさ、丸みとしなやかさを合わせ持つひらがなの美しさ。 私は今日も本を読む。 日本語という言葉の絵画を愛でながら。
最近、物事がスムーズにいくことが増えた。 いいことのはずなのに、ふと不安になってしまう瞬間がある。 「こんなにうまくいってしまっていいんだろうか」と。 いつの間に、うまくいかないことが当たり前になってしまっていたんだろうか。 願いが叶う瞬間にも、不安はつきものなんだろうか。