![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/46911089/rectangle_large_type_2_b2a3994cace9efa96df8ff0fd476ac5f.jpg?width=1200)
こんなの目にするとチト嬉しい!
今日はふて寝をしてしまった訳だが、ツィートをチェックしていて、ホッとした。
こんなの目にするとチト嬉しい。
この子の方が良い。×にする先生は淋しい。
本当にそう。ほんとにホントにそう!
私の母校船峅小学校は、明治のはじめに地域民からお金を集め創った。地域の人が応じたのは、子供は未来だから。未来のためにお金を出した。
だから、僕が小さい頃は運動会など村中の人たちが集まってきた。地域の運動会でもあった。
やがて『教育』と言う言葉が多く流れるようになり、学校で酒はダメと言う時代に成る頃には、人は学校に行かなくなった。学校は『教育』と言う言葉と共に、閉鎖されていったのだと思う。(地域の運動会は公民館でこじんまりと別に行われるようになった。)
地域の人がお金を投じたときには、教育のためではなく、子供達のためだったように思う。
それってとても大切なことのように思う。
今は『教育』と言うわかったような言葉が、未来を踏みつけ、壊していると感じる。
船峅は越中から飛騨の国への入り口にあった小さな村だ。
(M22年、人口2,842名)