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むかしの思い出は美化される。

私は中高一貫の私立に通っていた。
クラスメイトは14人、高校から増えて19人クラスだった。クラス替えはなかった。

中学の頃、とても陰湿ないじめが私のクラスにはあった。
それによって2人、途中で退学した。


面と向かって悪口を言われた。
「あんたクラスの皆から嫌われてるの知ってる?」
「ピアノ下手くそ、そして音痴のくせに歌うんじゃねーよ」
「存在がうざい。死んでくれない?」
「○○ってゴリラみたいだよね」

なんとなく私の悪口を言っているんだろうなという場面にも、何度も出くわした。みんな私が現れると、あっ という表情になり、その後危ない~って笑い飛ばす。嫌に精一杯声を張り上げて笑う。


まぁこれは一部だけど、そんな中学三年間だった。


これは中学受験あるあるだと思うのだけれど、私は地元に友達がいない。
転校してきた身だった小学生時代もあり、幼馴染もいない。

中高もクラス替えがなく、何より普通科と音楽科の仲が悪すぎて、他のクラスに知り合いは一人もいなかった。

音大も途中から全く行かなくなりしまいには退学した。


そして、気付いた。私には友達がいない。
SNSを見ていると、中学の集まりだ高校の集まりだ、ワイワイしている人たちが時々目に入ってしまう。
私はそういう物事に参加したことがない。私も、誰かとはしゃいでみたいな。なんて、

こうして寂しさを感じてしまう度に、中高のクラスメイトと絡んでみよっかなとかいう気持ちが湧いてきてしまう。あんなに酷いことをされたのに、自分の心に取り返しのつかない深い傷を残していった彼女たちをどうも美化してしまうみたいだ。

インスタのストーリーにリアクションしてみたり、
可愛い!ってコメントしてみたり。

その時はもう、憎悪なんて気持ちはない。私の数少ない知り合いで、クラスメイトだから、という理由で縋り付いてしまうような感じだ。


辛い思い出は美化されてしまう。
だからたぶん、「古き良き時代」って言うんだろうね。
「昔の方が良かった」ってそうなるんだろうね。


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