実家
衣替えのために実家に帰る。部屋が狭いため実家を倉庫とし、服を入れ替えるし、読んだ本の置き場になる。
朝起きて犬の散歩をして、洗濯と風呂掃除をして、寝た。昼ごはん食べて水を飲んでぼーっとして、寝た。寝ている間ずっと犬が腹の上にいた。夕方犬の散歩に行った。
田んぼに水が張ってあった。植え終わっているマスもあった。父親がこのよく見る鳥はなんだと写真を見せてきて、ムクドリだった。たくさん眠っても眠い。実家で溶ける。
キモいという言葉は、社会性を保ちたいから、過剰に行ってしまいそうになる部分を抑えるために使う。これ以上行くな。そのまま生きるなということで抑圧的だ。誰も見ていないならこのままの内容で良いけど、ちょっと変えた方がいいとも思ったけどまぁそのままやってみて。やりたいように。やりたいようにやってみたらやっぱりキモい気持ち。キモいのはどういう抑圧でしょう。どこで引っ掛かっているのでしょう。
よく分からない体調不良が続いていて、不眠やら下痢やら、腸の壁が剥がれ落ちた。それでもアクセルをふかした。坂道をブレーキの壊れた自転車で降りて行くみたい。どうせどこかで楽になるし。実家でひと段落ついて、一日寝たり起きたり脱力。
塾の先生のお母さんが亡くなったのだと聞く。
先生は死ぬ時期が自分でわかっていて、何歳と言っていたかは忘れたけれど、お母さんが一度危篤状態になった時に命を少し分けたのだそう。だから先生の寿命は当初よりはちょっと減ったのだった。お母さんはそれで持ち直したけれど、その後インフルエンザにかかってしまい、そこから回復できなかった。今度は受け取ってくれなかった。ってその渡しているもの、何でしょうか?よく分からないけど。
先生のお母さんは「死んだら何も残らん。何もかもなくなる」と言っていた。でも先生は「そんなことない、死んだらわかるから。死んでみてわかったら、僕にわかるように教えて」そんな会話をしていた。お母さんを棺に入れる際に抱え上げたところ、家の電気が全部消えて、1分後についたらしい。ちゃんとわかるように教えてくれたって。不思議だ。
死んだらわかること、どんなことだろう。
先生は来年70歳の節目にYouTubeを始めるらしく、きっと魂の話とかするのだと思う。
西洋医学では精神の治療はできない。魂を認めていないから。脳と魂が触れているのが普通の状態、触れたり触れなかったりしているのが躁鬱の状態、全く触れなくなったのが統合失調症。人間は機械に置き換わらない。コンピューターを脳に埋め込んだ時、それは人類の種としての終わりという意味になる。人間には魂があるから。先生とは繰り返し同じ話をしているのに、分かってない。言葉の文字面は暗記できているだけ。