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みみにみ

 涼しくなった。気持ちいい。
 人工的に冷やさなくていい。土地が我に返って、冷静になってくれた。窓開けっぱなしにできる。体の表面に皮膚の上にもう一枚膜があり、それが熱を吸収していることで心地よい。固定された空気が動かない。空気が固い。体の熱が均等に配分されている。体は生ぬるい水の入った袋だ。袋の中の水が止まっている。止まったままでいていいことでさっき食べた晩御飯の消化に集中できる。生命の維持の心配がなく、健康の方にエネルギーが使われる。すぐ終わってしまうのだろうなと、もう切なくなっている。まだこれくらいあると見るか、もうこれしかないと見るかの、これしかない、の方の見方をしている。どうせ地球は暑くなるんでしょ。生き残る道を探す時間。縄跳びで言う縄が上に上がっている時間。仕事が始まる明日がまだ来ていない時間。メールの返信をし終わって相手にターンが渡っている時間。
 単語を掛け合わせて取捨選択する感じ。ジェロニモさんは直接浮かぶのだろう。直喩とは本気、のこと。気合いのこと。時間を気にしないで。走って遠くにいく。

 今日は書かなくていいですって書き始める。いつも書かなくていいですって書き始めてるのを消す作業がある。今日は日記を書くつもりはありません、と言うと日記が書ける。いい滑り出し、勢いが出る。潤滑油になる。
 
 猿がシェイクスピアを書こうとしてるのか。いつかいいものになると信じると言うと、いいものじゃないといけないという価値観が覗く。高いところを目指してるんだ。そうじゃなくていいって始めましたですよね。そうそう。それでも気持ちは一定じゃないので、なんじゃこりゃって思うこともあり、一体これは何してんのって。なんじゃこりゃが面白いのかというと、うーむ、これって面白いか?
 いいものでないとしても、面白くはあってほしいかも。面白いってなんだったっけ。ZINEのイベントに参加表明したので、テーマを探す。面白いってなんだっけ。あと1ヶ月。このまま、で面白ければいいのに。自分で面白いって思えたらいいのに。誰かが面白いって言ってくれないと面白いがわからないなんて頼りない。本気で、面白い、を探す気概。そう言ってなんかやった気持ちになる。
 フィリピンに行って、現地の人と踊った時、面白かった。でもそれは、あの時の私は違う私だったよね、今は元に戻っているよね、って感じ。アドレナリンに取り憑かれていた時は別人扱いで、それは、面白かったけど、面白いと言えない。今求めている面白いは、ひらめく、とか、新しいもの、とかのことなのだ。
 斬新なアイデア、インターネットにあふれていて、なぜか、どうしてこれを私が思いつかないのかって嫉妬してる。悔しいって思ってる。全部にではなく、ちょうど、ここ、思いついても良さそうなところじゃないかっていう、身近なものの新しい組み合わせのものがあった時に。それも、いいものがいい、という価値観で。
 嫉妬して、体を痛めつけることで、罰を与えれば、何かひらめくことがあるのかしら。そこに関係はないよね。痛めつけ癖なのかしら。癖なのだとしたら離れたいところです。私は私を許せてないのです。許せてないイボが左足の人差し指にできてる。

 晩御飯を何にしましょうと考えながら何も思いつかない自転車ロード、お肉屋さんの店先で炭火焼きの焼き鳥に引き寄せられて、晩御飯は焼き鳥になった。

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