たかたん
間違いなく場違いなとこに1人でいるけど、この不思議さを噛み締めている。どこを見たらいいか分からなくて、視線と呼吸が浅い。どこかで会ったことありましたっけ、なんて話しかけられたりして、いいえ、ここにいる人たちとはみんな初めて会う人ばかりなのです。
何かを思い出そうとするときの記憶を辿っていく作業、手掛かりもとっかかりもない、広大な荒野が広がっている。ついさっき聞いた目の前の人の名前、仕事で苦労して書いたレポートのタイトル、思い出せない。名前はメモしてあるし、レポートのタイトルはすぐ調べられる。でもなんとか思い出そうとしてみる。お手上げだ。荒野ったら荒野だ。それは興味関心がないからなのか。なんでもいいってやってたら、なんでも良くなって、どうでも良くなって、何もなくなって、記憶もなくなってしまうのか。なんでもいいと不思議と何にもなくなる。
自転車で行けるなら、コストゼロと捉えているのも不思議で、お金はかからないけど、自転車を漕ぐ労力とか、かかる時間とかあるからコストゼロではない。公共交通機関を使った方が早くて楽なときもあるのに、自転車のコストゼロ感があって、暑い中自転車で遠くまで行ったりする。より良い方法は何か、戦略を立てるパラメーターが壊れているが、修理する必要はない、なぜなら、なんでもいいのであるから。
バスの路線を調べたりするのが面倒なのもある。自分の力で行けることが楽しいのもある。通った道で塗りつぶして、この土地に私をなすりつけている。場所が私に近くなる。神経が通って体の一部になる。自転車があることでかなり範囲の広い体を持っている。
いつの間にか爪が伸びる。髪が伸びる。植物の新芽が出る。日の入りの時間が早くなる。友達が歳をとると同時に私も歳をとる。担い手がいなくて伝統工芸品が消えていく。
昼ごはんと夜ご飯の境目を失う。あったら食べるし、なかったらいらないし。散歩して、不思議を噛み締める。