見出し画像

生命のニューサイエンスを再読する

 この本は1986年刊の、2000年に出た新装版だが、もう絶版していて、本屋にはない。図書館に行ったので、借りてきた。
 今3章まで読んたところで、引用し、引用の間をつなぐ言葉を挟み込んでみたりしてみた。まとめられるまで理解ができてないので、面白いと思ったところの切り貼りになった。

生命はどうしてその形をしているのか。
 現在はDNAが生物の形を決めるとされているが、生命現象と名のつくものすべてを機械論的に説明し尽くすことは到底不可能である。なんとなくそんな気はしているが、目下のところ、実験生物学に有効なのは機械論的アプローチ以外にない。人間のDNAの配列を全て調べても、どうして私たちがこの形をしているのかはわからない。
 この本では、生命体の中で物理化学的プロセスと相互的にかかわっているとする、生命現象の背後にある、自然科学にとって未知の新しい要因を示唆する。それが形態形成場仮説だ。

 この仮説に従えば、あるシステムは、過去にそれと同様のシステムが組織化されていたのと同じ形で組織化される。例えば、ある複雑な組成をもつ有機化合物の分子が独自のパターンをもって結晶化するのは、同じ物質が過去にそのように結晶化してきたからであり、ある植物がその種固有の形態を呈するのは、過去に同じ種の植物がその形態を呈してきたからである。
ーー18pより

 (ひとつ例を挙げる)1匹のラットがある新しい行動パターンを身につけたとする。するとその後に生まれてくる同種のラットはどれも、この行動パターンを以前よりすばやく身につける傾向をもつようになる。はじめにその行動を身につけるラットの数が多ければ多いほど、その後に生まれてくる同種のラットにとってこれを学ぶのはたやすくなる。したがって、次のようなことが起こる。ロンドンの実験室で千匹のラットにある新しい課題を遂行させる訓練をすると、世界中のどこの実験室のラットも、この同じ課題をたやすくこなせるようになるのだ。実験室どうしの間になんら既知の型の物理的接触や交流が存在しなくても、影響は波及するのである。
ーー19pより

ウニの発生
 ある発生システムの一部を取り除いたり付け足したりしても、そのシステムがほぼ正常な構造が作られる方向で発生し続ける。これを発生の調整という。
 例えば、ウニの受精卵はまず2つに細胞分裂する。その片方の細胞を殺すと、残りの細胞から生まれるのは、切断された片方のウニではなく、小さいが完全なウニだ。もしDNAに形を作る情報が書き込まれているのであれば、片方のないウニになるのではないだろうか。
 この例が示唆しているのは、発生するシステムがある形態学的ゴールに向かって進んでいて、それはシステムの一部が取り除かれて正常な発生プロセスが阻害されても、その目的を差し示しそこへ到達させようとするなんらかの特性があるということだ。


クレオド「後成的風景」

 この模型図に描かれたボールの転がり落ちる道筋は、卵の特定部位の発生歴を示している。胚発生が進むに従って谷間はいく筋にも分かれ、複数の道筋ができる。これは異なる器官や組織、細胞が発生する道筋を示す。発生は明確な目的地へ向かって、運河化されているのである。
ーー74p

 
形態形成場の「場」とは
 現在、重力と電磁力は「場」によって説明されている。物体も、その間にある空間もともに場を根底にもつとされているのだ。
 場にはいくつかの種類がある。第一は、重力場である。重力場はアインシュタインの一般相対性理論において、時空とイコールで結ばれ、物質の存在によって曲がると考えられている。第二は電磁場である。そこでは電荷は局在化され、電磁放射はこの場を通して振動擾乱として伝播する。量子論では、こうした擾乱は、個々にエネルギー量子をともなった粒子様の光子と見なされる。第三に、物質の量子場理論においては、原子を構成する粒子は、物質場から励起された量子と考えられている。異なる粒子はそれぞれ独自に、特定の場をもつ。
 これらの理論では、物理学的現象はエネルギーだけでなく、空間的な場の概念とエネルギーの概念とを組み合わせることによってせつめいされる。したがってエネルギーが変化をもたらす原因だとみなすことはできても、変化の順序を決めるのは場の空間的構造である。これ他の構造は物理学的作用は及ぼすが、それじたいはエネルギーではない。ーー「幾何学的」あるいは空間的原因として働くだけだ。こうした考え方とエネルギーが原因のすべてだとする考え方の根本的な違いは、ニュートンの重力理論と、アインシュタインのそれとの違いに現れている。例えば月が、地球の周りを回るという事象をとった場合あ、前者は月の引力によって、地球に引っ張られる体と考えるのに対し、後者は月を取り囲む空間そのものが曲がっているからだと考えるのである。

結晶がその秩序を選ぶのはなぜ
 温度が上がれば、物質は変化する。温度が低ければ物質は結晶の形態、すなわち分子がきちんと規則正しく秩序だって並んだ状態で存在する。ところが、温度を徐々に上げていってある点まで来ると、熱エネルギーの作用で血胸の形態が崩れるーーつまり固体が溶けて液体になる。この状態では、分子の並び方は一定せず、つねに変化する。分子間に働く力が表面張力となり、液体全体に単純な形、たとえば水滴になる。さらに温度が上がると、液体は気化する。気体中の分子はバラバラになり、大なり小なりたがいに独立した形でふるまう。それ以上温度が高くなると、今度は分子じたいが壊れて原子となり、さらに高温になると原子ももはやそのままの形ではいられなくなり、電子と原子核との混合気体、すなわちプラズマとなる。
 以上の変化を逆方向に見てみる。まずプラズマの温度が下がると、適切な数の電子が原子核の周りに集合し、しかるべき軌道に収まる。さらに温度が下がると、原子が集まって分子をつくる。次に気体が凝縮して液滴になり、そして最後に液体が結晶になる。
 これらの形態は、自然に発生する。結晶のを顕微鏡で拡大して見ると分子が規則正しく並んでいるが、分子のひとつひとつどの方向を向いて、どの順番で並ぶかという秩序は外的なエネルギーによって説明することはできない。(例えば何か物理的な型があって、それに沿って並んだとかそういう外的な作用をするものがあったということではない)そうした形態が現れ持続するには一定の温度以下でなければならない、という消極的な説明ができるのみだ。内的なエネルギーの観点からも、あらゆる可能な構造的配置のうちでポテンシャル・エネルギーのもっとも小さいものだけが安定する、と言うところまでしか説明できない。この構造が、すなわち自発的に獲得される構造になる訳である。

「自発的に獲得される構造」はどうやって決まるのか
 あるタンパク質分子は安定できる状態のもとで、折れ曲がってひとつの特定な構造をなすことがほぼ裏付けられている。出発点となる最初の状態も、折れ曲がっていく経路もそれぞれ異なるにも関わらず、最後に到達する構造は全て同一である。
 この最終到達点は、最小エネルギー構造である場合が多い。(分子の電荷とか組み合わせが色々ある中で1番落ち着く形ということ)しかしこのことはそれが唯一の最小エネルギー構造だという証明にはならない。実際タンパク質の三次元構造を予測するためにさまざまな概算の方法を用いて計算を行うと、解ががたくさん出過ぎてしまう。タンパク質はそれを全部試した上で、1番いい形を見つけたということなのか?しかし組み合わせを少なめに見積もって概算しても、タンパク質が最小のエネルギー値の構造を見つけるまで、そのパターンを全部やってたら10の26乗年かかることになる。
 システムのとりうるいくつかの最小エネルギー構造を計算して示唆することはできるが、なぜそのうちの特定の構造に決まるかを物理学的に説明できると考えられる証拠がない。したがって、「エネルギー以外の何かの要因」が複数の可能性のうちの一つを「選び」、特定の構造を決めている、という考え方をした方がいい。それが形態形成場によって決まっているのでは、ということだ。

 形成的因果作用の仮説とは
 複雑さのレベルに関わらず、あらゆるシステムの形態の発生と維持は、形態形成場の働きによる。その場合、「形態」という言葉はシステムの外的な表面や境界ばかりでなく、内的な構造も指す。形態形成場はエネルギー的プロセスと結合しないと作用を及ぼすことはできないが、それじたいは非エネルギー的なものだ。
 形態形成作用を理解するには、建物のアナロジーを使うとわかりやすい。家を建てるには、まずその煉瓦その他の建築材料が必要だ。また、実際に家を建てる建築業者もいる。そして、どんな形の家をつくるかを決める設計図もなくてはならない。同じ業者が同じ文章の仕事をしても設計図が違えば、できる家は異なってくる。つまり設計図は家の特定の形を決める要因とみなすことができる。無論、それは唯一の要因ではなく、建築材料や建築業者がなければ絶対に家はたたない。これと同様に、システムがある特定の構造をとるとき、特定の形態形成場がひとつの要因となる。ただしそれは、しかるべき建築材料とそれを正しい位置に持っていくために必要なエネルギーがなければ作用しない。形態形成場それじたいはエネルギー的なものではない、にも関わらず、システムの形態を決定する際に因果的役割を果たす。
 重力場も電磁場も空間的構造ではあるが、目には見えず、さわることも、聴くこともできない。臭いや味もない。その存在は、重力作用と電磁作用を通してしか知ることができない。重力場と電磁場はある意味で非物質的だが、別の意味では物質の局面であるとも言える。なぜなら、物質的なシステムに及ぼす作用を通して初めて、その存在を知られるからだ。実質的には、こうした場をも考慮に入れるために、物質の科学的定義が広がっただけなのである。形態形成場もこれと全く同様だ。空間的構造でありながら、物質的なシステムに及ぼす形態形成作用を通してしかその存在を突き止められない。
 形成因果作用の仮説は、生物システムと複雑な化学システムの形態形成のみにとどまらず、単純なものから複雑なものまで、すべての生物および物理システムにあてはまると考えられる。どんなシステムにも固有の形態がある以上、おのおのに特定の形態形成場があるはずである。つまり、陽子にも、窒素原子にも、水の分子にも、塩化ナトリウムの結晶にも、ミミズの筋肉細胞にも、ヒツジの腎臓にも、ゾウにも、ブナの木にも、みなそれぞれに形態形成場があると考えられる。

印象に残った言葉「かたちは形」
 物理量は道具や装置を使ってきわめて正確に測定することができる。重さが何gだとか、長さが何cmだとか。しかし形態は、たとえ科学者でも、量的なものさしで測ることはできない。こうした形態はすべて、目で見て触って直接認知される。かたちは形であって、それ以外の何ものでもない。何か別のものに変わることは決してない。

 以上3章までの内容を引用したり、付け加えたりしたものでした。続きはまとめたりしないで普通に自分だけで読む。興味を持った人は本をどこかで手に入れて読んで欲しい。

いいなと思ったら応援しよう!