盆踊り

今日は特に書くことがないと言いつつ、ほらこんなふうに書くことがある。書くだけなら、クオリティとか言われなら、なんでもいいなら誰でもなんでもできるはずなので。私は文章がうまいとかはわからないけど、ただこんな思ったことをそのまま文字にするだけであれば永久に、それこそ永久に書ける気がする。何時間でもやっていられる。仕事の合間に気分転換に適当に文字打ってサボったりする。一見、仕事をしているように見えるのでこの暇つぶし方法は便利。いつまで適当に文字が打てるだろうって気になったからやってみる。こんなこと気になっても仕方ないけど、金字塔打ち立てるべく頑張る。今日も可もなく不可もなくちょうどいい気分でちょうどいいです。無理は続かない。無理はだめ。何もうまいことを言えというわけじゃない。いつも通りやればいいんだ。いつも頭の中で思ってるなんでもないことをここに記せばいい。
はい考えるのやめてって言われても考えを止めることはできないけど、常に何かを考えてるからって大層な内容ってわけじゃない。考えてるか、もしかしたら考えてるか、考えてないか。一体どれをやっているんだろう、不思議だな。本当にこのまま出してやろうか。
一体これになんの意味があるんだって思う気持ち、私も同じです。小学校の時学級文庫で読んだはやみねかおるの夢水清志郎シリーズの中で三つ子の長女亜衣の所属していた文芸部の部誌の名前が「それに一体なんの意味があるのでしょうか」みたいな名前だった。
意味がなくて安心する。意味があると急いじゃうから。急いじゃった時あるあるで、紙で指を切るってのがあるです。急いでる時にやりがち。今日は指2本やりました。仕事なんか意味しかないから、意味は痛みを伴う。これがまた風呂で湯に染みるのだ。手相のしわが増える位置に傷をこさえて一つ運命を変えちゃったよ、なんて。手相っていうのは基本的に縦の線がいい線で横の線がよくない線らしい。
手のしわに意味があるなんて、人間てものは何にでも意味を持たせようとする。ストーリーをくっつけないと納得がいかない生き物だ。ストーリーばっかりで本流はどこなのかもう見分けがつかないというか。手相の良い相を探すのに躍起で人生のほうがおざなりなんじゃないですか。
意味をくっつけるのもいいけど、朝起きて食べて陽の光を浴びて、ここまでが人間。そのあとは仕事という意味の奴隷、帰ってきて食べてぼんやりして、1日が終わる、意味のない1日が終わる。いえ、意味はあったけど、言葉にするか次第だから、どうくっつけるか次第だから。あえてここでは何もくっつけないこととする。
何もない1日なんてない、とキラキラした人は言うでしょう。人生に希望と目標を持った人は意味でいっぱい。さて今私は何回意味って言ったでしょう。そんなに意味を無くしたいのか。意味がお前に何をしたか。全てを。全てのされたことを。生まれてこの方ずっと、生まれたことを祝福された瞬間から親に言葉を教えられてきてずっと共にあった。逃げられなかった。これからも逃げられはしない。ただ深刻に捉えないことはできる。大仰に表して不安を煽るのも言葉であれば、形にすることで相対化して小さくするのも言葉。私を飲み込もうとするなら、逆にこっちは意味を小さくして征服してやる。
どうだ、意味がないだろう。火をつけて燃やす。本当に内容がないよう。しょうがない、もう月末だし、金欠にもなれば意味欠にもなる。すっからかん。意味欠を防ぐには意味の貯蓄をしたらいいなんて、そんな正論聞きたくないね。貯蓄するために今の意味を我慢しなきゃならないってのはアホらしいと思いませんか。今を生きた方がいい。無理に貯めたりなんてしないでその時の意味をその時に使っていきましょう。
世間じゃハロウィンとかありますけど、みんな頭空っぽにして騒ぎたいだけ。頭空っぽにして踊るのは楽しいし、嫌なこともどうでも良くなる。振り付けなんていらない、たまたま私には盆踊りの血が流れているために気がついたら盆踊りっぽくなるにしても、振り付けはなんでもいい。うまく踊れているかも気にしなくていい。誰かが私を見ているかとかも気にしなくていい。ハロウィンとか、みんなが狂ってる時はその中に紛れ込んで入れてもらって、同じく狂わせてもらう。といっても「狂おうとしているな、私」の意識はずっと消えずにある。顔は笑顔、心は真顔。性格は簡単には変えられないにしても、フリだけでも陽気な人間だと他人は見てくれるから変な気持ち。踊ったことでまた意味社会に耐えられる。言葉がすべてを解決するなんて思ってない。ハレとケで言うとケの方だ。重たいものが知らないうちに蓄積していく。スイカゲームで言うと、分断された上に蓋されて触れなくなったところの、どうしても意志が届かなくなった部分。

はい。よくわからんこと読んでくれてどうもありがとうございました

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