おまつり
劇団員をやってた同僚が、所属していた劇団がお化け屋敷をやるから行ってみてと勧めてくれたので、お化け屋敷に行った。その後雨に降られて雨宿りに入った中華料理屋さんでハイボールを飲んで餃子を食べた。そのあとに箱崎宮の祭りにいく。
大事なものは何か。綿菓子は砂糖を広げたものだし、人形焼は小麦粉と卵だし、くじ引きの景品に本物はなかった。風船がピカピカ光って、もうすぐ満月になろうとする月と並んだ。それだけで綺麗だから眺めるだけで十分だ。キラキラした飴のかわいさ。私は祭りの一部にならなくていいのに、ちゃんと一体化した。そこにいるということだからね。人混みに揉まれて疲れて歩きたくなくなるのも祭りっぽかった。
それまでに参道を歩いたすべての人が一度に見えている感じ。何十年と祭りが行われているから、何十年分を同時に同じ道に映し出したら、もっとすごい人になる。空まで埋め尽くさないと空間が足りない。山になって積み上がる人、人。参道は失われ屋台は失われ、ちょうど空を飛ぶ飛行機から見ると巨大で真っ黒なかたまりになる。残像を踏み潰し空想を散らす。疲れても歩く。明日の仕事に通じているがために家に帰りたくない。
家に帰ると3日くらい家を空けていたが植物は変わらず生きている。水をあげないと植物は死んでしまう。鉢の中にいるからそうだ。ともに生きようと鉢の中に閉じ込めたのは私。生命を握っている。鬼滅の刃のセリフ、なんでしたっけ。お前が消えて喜ぶものにお前のオールを任せるなって意味のセリフ。
君たちが何を話しているのかを耳を澄ませて聞いてみようとする。退屈な眠れない夜に話し相手になってほしい。もしくは友達同士元気に助け合って生きてほしい。
スケジュールに予定を書き込むのは、書き込める行為自体がそれだけで偉くて、それが何時だとか、どこであるだとかそこまで書き加えられるところまで行けたら本当にすごい。集大成を求めてしまうけれどもっと浅いところで満足していたはずだった。深刻になることなく安眠し、明日を迎えよう。世界は私に甘く、疲れたとしてもたくさん寝る時間を与えてくれている。