ぬくぬくは正義
国際交流会の話。カメラがぶれないようにする機械を持たせてもらった。こう握るんだよって教えてくれた時に手を握られた。すごいな海外の人はスキンシップが多いんだな。新鮮だ。カメラバッグのメーカー、ピークデザインのリュックを持ってたから趣味で動画を撮ってる人が話しかけてくれた。
人が多くて知り合いがいないと素早く諦めて待ちに徹する。学生の時の新学期はいつもそうだった。大抵半年くらい友達ができずに過ごし、学級委員っぽい人が心配して話しかけてくれる。自分から行けない。あれは場面緘黙のような気がする。でも今はハイボールを3杯ほど飲めば物怖じしない陽気な人になるから酒の力を使う。国際交流会は定期的に開催されているのでまた行こう、英語を話す機会を増やそう。
マルチスピーシーズという言葉を知る。私がよく考えることはマルチスピーシーズという名前があった。ミミズだってオケラだってアメンボだってみんなみんな生きているんだ、ってやつ。文化人類学は人類の枠を超えて、ありとあらゆる生き物に視点を向けている。昆虫や植物はおろか、石にまで。奥野克己さんの本を買って積んでいるので読もう。
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こたつが完成した。押入れの奥にいてずっと使ってなかった電気毛布の存在を思い出した。いや、知っていたけど出すのが面倒だっただけ。それが数年ぶりに日の目を見る。電気毛布を熱源とする擬似こたつで冬の最強の布陣が完成しつつある。
洗濯物を干した。干すときは気が付かなかったが、裾が丸まったままハンガーにかかっている。丸まった裾を伸ばしたいが、擬似こたつと一体化して動けないのでなすすべなく見つめるしかない。魔法瓶のポットにあったかいお茶を淹れてての届くところに置いてある。立ち上がる理由がない。柄の長いマジックハンドが欲しい。もしくはゴムゴム人間の能力が欲しい。
ぬくぬくの環境で編み物がしたい。何年も前に紫の毛糸を3玉もらったのがある。かぎ針編みで帽子を編みたい。YouTubeで編み物動画を漁っている。Tunisian crochetという編み方が気になっている。チュニジアの編み方ということか。編み物の動画は英語でもたくさんある。手順は動画で分かるので英語が聞き取れなくても理解できる。英語を勉強した気になる。
あと世界の最新の便利ガジェットの紹介するまとめ動画も英語でよく見る。最先端とか新規性を感じるとアドレナリンが出る、ワクワクする。新し物好き。翻訳を待たず最新情報を得られるのは英語で見るメリットだ。
小学生の頃から編み物で遊んでいたが、編み目を数えながら作った試しがない。目分量でできそうな作り方を探している。目分量で作れそうな、とは可塑性があってやり直しがきき、私にも理解できるということだ。マフラーなら好きな長さまで続ければいいし、帽子なら頭囲に合わせながら長さを決めればいい。あーだこーだ試行錯誤して歪になりながら形にするのがいつものやり方。セーターとか模様を作ったりとか複雑なものは編み目を数えないとできない。編み目を数えるなんて精巧なことが私にできるだろうか。いつかやってみたら案外簡単だったって言ってる日が来るのかも知れない。
12月になった。遠い未来だと思ってたのに12月はなんの苦労もなくいつの間にかいる。今はまだ見えない未来もそんなものかも。
できなかったことを覚えておきたかったから紙に日記を書いてた。見返した時に、あのときはできなかったけど今はできるようになったと、来た道を振り返りたかったから。できなかったことはできるようになると跡形もなく消えて無くなる。できない時のもどかしさとか悔しさとか思い込みとか都合よく霧散する。デジタルだと見返さないけど紙だと見返す。長い付き合いになるとは知らず軽い気持ちで買った商品の記録を見返し、軽率な行動が実は運命の分岐点だったことが見える。なんでもないことが分岐点になるあらゆる可能性の流れ(音ゲーのような)に常に晒されている。何もしない休みの日にだって。
仕事で電話を受け、誰からの電話なのかメモし忘れた時のこと。履歴からめぼしいとこを5件ピックアップして上から順にかけた。そのとき4番目が光輝いて見えたけど順番にかけた。そして4番目が当たりだった。脳って忘れっぽいようで結構覚えてるんだなと思った。うまく拾うのが難しいけど。
映画、月、を観て話したくなった遠くに住む友人。LINEした流れて久しぶりに会う約束を取り付けた。楽しみだ。