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「好きの感情」を比較することに意味はない。(全文無料)

今日も今日とて柔術は楽しい


1.感情の強さは測れない、好きの感情を比較することに意味はない。

感情は測れない

感情を測る参考はあります。

・ご飯がのどを通らないくらい悲しい

というのは悲しさの感情としてかなり大きいものだと分かります。

でも、

・食欲がないから悲しい、食欲があるなら悲しくない

とはならないでしょう。あくまで参考です。感情の大きさはその人しか分かりません

感情の比較に意味はない

例えばですが、

A 大学に合格した喜び
B 好きな人と初デートに行けた喜び

a ペットを亡くした悲しみ
b 打ち込んでいた仕事で大きなミスをしてしまった悲しみ

どちらの感情が強いか測るのは不可能ですし、人によって違うし、感情の種類が違うかもしれないし、そもそもそこを比較すること自体に意味がないです。

「好きの感情」を競うな。アーティストの例え

よくあるのがアーティストやアイドルに対する「好きの感情」の強さを競うようなパターンです。

「本当に好きならおっかけして全国のツアーに行く」
「本当のファンならグッズは毎回全部買う」
「本当に好きならetc..」

もちろんファンとしてお金を落とすのは大事ですし、どれだけ時間と情熱をかけてきたかで自分の「好きの感情」の強さを誇示したい気持ちは分かります。でもその感情の強さを競うことに意味はないです。

「ライブもいったことないし、Spotifyで聞いてるだけだけど心からそのアーティストが好き」でいいのです。

「〇〇をしているから好きである」というのはありません。それだったら時間がある金持ちが一番好きということになってしまいます。

「本当のレディーガガのファンならアメリカのライブに行くはずだ」なんておかしいでしょう。お金に余裕があってたまたま海外旅行のタイミングでライブに行った人が、国内で何百回も曲を聞いているファンよりもレディーガガが好きとはならないと思います。

2.柔術に対する「好きの感情」も測ることはできない。比較できない。

同様に柔術に対する「好きの感情」や「情熱」も測ることはできません。

もちろん参考になる基準はあります。

・柔術道場を出す
・柔術のために海外修行に行く
・海外の大会に出る
・週5で練習している
・柔術のために大会や教則やレッスンに何十万も払っている

これらのことをやっている人はほとんどの場合、柔術がかなり好きな人でしょう。

でも、これらのことをやっているからやっていない人より柔術が好きか?というとそんなことはないです。

仕事や家庭の都合で毎日練習できない、大会もほとんど出ていない、という人でも柔術が大好きな人はいます。その人たちの柔術の「好きの感情」はたいしたことない、なんてことはないです。

「本当に好きなら週〇回はやるもんだよ」
「柔術への情熱が仕事より下だったってことだよ、俺は安定した仕事を捨てて柔術に専念してきた」
「大会に全然出ていないなんて本当の柔術家じゃないよ」

上記の意見の言いたいことも分かりますが、ちょっと乱暴です。その人にとって仕事は何百人の社員の生活を守らないといけない立場のものかもしれないし、家族の看病や介護があって練習に行けないこともあるかもしれないです。いろんな事情で柔術はそんなにできないけど柔術は大好き、という人もいるでしょう。

他人の「好きの感情」を見える部分だけで勝手に測ってはいけません。

「①親の支援で働かずに週7で練習している柔術家」と、「②仕事と家庭の合間を縫ってなんとか週1の練習をしている柔術家」、①と②のどちらが柔術をより好きかなんて分からないです。「①が②の7倍柔術が好き」なんてことはないでしょう。そこを比較する意味はないです。

セレブの人が毎回プライベートレッスンを受けて年間何百万のお金をかけて柔術をやっているからと言って月1万の会費だけしか払っていない一般人より柔術の好きな気持ちが強い、とは限らないです。

自分の話で恐縮ですが、自分は学生時代に野球部でしたが野球が大っ嫌いでした。監督に殴られたり蹴られたり怒られるのが怖くてとにかく早く辞めたいとした思ってなかったです。でも週6-7で練習していたし、大会も年何回も参加していました。

ちょっと極端な例ですが、このように「〇〇しているから好き」というのは違います。

とにもかくにも「好きの感情」を競うことや比較することには意味がないです。そもそも測れないので

3.「好きな気持ちなら負けない!」というのも違う。結局比較している。

たま~に聞くのが「自分はクソザコだけど、好きな気持ちは負けない!」みたいな言葉です。

これも結果的に「好きの感情」を比較してしまっています

その言葉には「他の人の好きな感情は自分より下」という意味が暗に込められています。

この言葉を発する本人にそういう意図がないのは分かりますが、「好きな気持ちなら負けない!」という言葉は「あなたより私のほうが柔術が好きである。あなたは私より柔術が好きではない」という解釈ができます。

柔術歴の長くて強い人がそんなにアツく打ち込んでいないのを見て、始めたばかりの人が「自分はクソザコだけど、柔術を好きな気持ちなら負けない!」みたいなことを言っていたらどうでしょうか。長く続けてきたらそりゃ多少モチベーションも落ち着きますよ。体力も落ちるしケガも増えるし。でもその二人のどちらが柔術を好きか、なんてわからないでしょう。比較する意味もないです。

柔術を好きな気持ちは自分で分かっていれば十分です。自分の好きな気持ちを誰かと比較して「誰にも負けない」という必要はないです。

4.まとめ

「好きの感情」を競わない、比較しない

A 強い人(いわゆるガチ勢)が言う「本当に好きなら週〇回くらい練習するだろ、本当に好きなら大会に出るだろ」
B 弱い人(いわゆるエンジョイ勢)が言う「自分はクソザコですが、好きな気持ちはガチ勢にだって負けません!」

本質的にこの二つは同じです。「好きの感情」を比較して「自分のほうが好きの感情が上である」「ほかの人の好きの感情は自分より下」と言っているので。

競うのは純粋な競技の強さだけでいいのです。自分の柔術を証明したいなら試合で自分の強さや自分の努力を証明すればいいのです。

「好きの感情」を比較して競うのは無意味です。

「好きの感情」は自分で分かっていればいいです。わざわざ他人と比較する必要はないです。「自分は心から柔術が好き」と思えるならそれでいいのです。

「全然、練習は週一だし、練習にいけない週もある。教則なんてほとんど買わないし、最新のテクニックも全然知らない、自分より遅く始めた人にもボコられる、試合なんて何年も出ていない・・

でも、信じてもらえるか分からんが・・・・

そんなんでも本当にワシ・・・

心から柔術は好きなんだ・・!

それだけは事実なんだ・・」

1日外出録ハンチョウ 第152話「散時」

2025/2/7 アンディ

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(ブラックアンディ登場)

「他人の好きの感情を勝手に測るな」と偉そうに書きましたが、自分もブラックな部分が出るときがあります。

「毎日仕事終わりにビール飲んでYouTubeとテレビ見てる、飲み会も誘われたら毎回行く、体は元気だけどちょっとおっくうで練習行く気にならない、今月は1回しかジム行けなかったなー」という人が「柔術好きな気持ちはだれにも負けないですよ」とか言ってたり、

「自分柔術大好きなんで!絶対黒帯になります!」という体力も時間もある若い人が大会は出ない、練習も週一以下、テクニッククラスも出ずスパーでインスタとYouTubeで見たテクニックばかりやっていたりすると

「ほっほっほ、やかましいですよ」と心のフリーザ様が出てきたりします。

(※これらの人は事実を元にしたフィクションです。やめていった人たちでこんな感じの人がいました。)

これはブラックアンディが言ってるだけです。ボクの本音ではありません。悪しからず。

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