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ものづくりの原点「たたら」が現代の私たちに残してくれたもの
今日は出雲文化に関するご紹介。
先日つぶやきでも紹介した番組、「たたらの国 奥出雲」を視聴しました。
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V6の岡田准一さんが奥出雲に今なお残るたたら文化に触れて、ものづくりの原点に迫るといった番組でした。
たたら製鉄とは、、、
日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法。
炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称である。
砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できることを特徴とする。
近代の初期まで日本の国内鉄生産のほぼすべてを担った。
明治以降急激に衰退し、現在では、日本刀の原材料「玉鋼」の生産を目的として、島根県仁多郡奥出雲町にある「日刀保たたら」などが稼働している。
「たたらって何?」
っていう方にも、わかりやすくたたら文化の奥深さを気付かせてくれるすばらしい構成でした。
にしても、日本刀を携えた岡田准一さんの立ち振る舞いはかっこよかった。。。男ながらに惚れ惚れしちゃいました。
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たたらが与えた大きな影響
番組を眺めながら、改めてたたらは奥深いなぁ、と思いました。
江戸時代には日本の鉄需要の八割を奥出雲で生産していたといいます。
今となっては鉄って当たり前すぎて、「だから?」って思われるかもしれませんが、当時としてはかなり重要な産業だったはずなんです。
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上質な砂鉄と豊富な木炭資源、たたら操業に欠かせない炉を作るための土などが手に入る中国山地。
そこに、長年積み重ねた職人たちの知恵と技術が重なって、和鉄が作られていました。
現在で例えるならば、
スマートフォンに使われているレアメタルが出雲で発掘されるようなものでしょうか。
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たたらによって作られた鉄は、
日本刀や鉄砲の材料になったり、
農業用の鍬や、
鉄瓶などの日曜道具になったりと、
様々な用途に使われていきます。
当時の生活の縁の下の力持ちとなっていたのです。
それだけではありません。
食文化にも影響を与えます。
砂鉄を採取するために切り開いた山々は整地され、棚田へと変わり、そばや米(仁多米)などが作られました。
明治時代には西洋鉄に押され、たたら製鉄は衰退していきますが、今でも奥出雲にはたたら文化が育んだ文化が色濃く残っているのです。
▼言葉としても代わり番こという言葉が今でも残っています▼
1690年頃、出雲地方で発明された天秤ふいご。
— あんでぃ@イズモ (@torisetushimane) October 5, 2024
たたらを踏む人たちを番子という。
『代わり番こ』の語源である。 pic.twitter.com/KXHnYIWOtv
ここまでお読みいただいて、たたらに興味は湧きましたでしょうか?
なお、「たたらの国 奥出雲」は25日までティーバーで無料で視聴できます。
ぜひ、ご覧になってくださいませ。
また、こちらはあんでぃのたたら探訪の連載です。
以上、おもてなし産業をかっこよく。
あんでぃでした。
我が旅館、界 玉造でも出雲文化のひとつ、たたら文化を滞在の中に”隠れミッキー”のように忍ばせています。
滞在の際にはぜひ探してみてくださいね!
▼古の湯と出雲文化を遊ぶ宿「界 玉造」▼
▼灯台と水平線を望むお詣り支度の宿「界 出雲」
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