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愚直な歩みが咲かせた花【田中謙吾選手の引退に寄せて】

11月10日、2024J2リーグ最終節、ザスパ群馬戦。
躍進を遂げたチームの最終戦であるとともに、GK田中謙吾選手の、引退試合でもありました。

練習での厳しい姿勢。ベンチから熱くチームを鼓舞し、仲間のゴールには真っ先に駆け寄り、笑顔で祝福する姿、そして出場時の見事なシュートストップ…出場試合数以上の貢献と存在感を感じる選手でした。

どのような立場でも、本人の座右の銘の通り「愚直」に役割を果たそうとする姿勢に、私を含めた多くのファンが、尊敬の念を抱き、愛したはずです。

今回は、田中謙吾選手の引退を受け、そのプレーや立ち振る舞いから感じた、プロ選手としての生き様について、ホームタウンの一人の住民の目線から、記してみたいと思います。

よろしければお読みください。


〇「愚直」に積み重ね、立ち位置を向上させ続けた、いわきFCでのキャリア

田中選手は、2022シーズンからの3年間、いわきFCに在籍しました。
チームにおける活躍の詳細は、公式NOTEの方にまとめられておりますので、そちらをご参照ください。

ここでは、私が特に印象に残る活躍シーンと、チーム内で立ち位置を向上させ続けた過程を紹介したいと思います。

・2023天皇杯徳島戦、テキストライブで感じた奮闘


2023シーズン前半、GKは高木和選手(現J2千葉)が主に務め、そこに第二GKとして鹿野選手が挑むという構図でした。

田中選手は第3GKという位置付けで、ベンチ外となることが大半でした。

シーズン前半、5連敗を喫するなど、チームは不調に陥ります。内容が極端に悪いという訳ではありませんでしたが、ゴール前での僅かな差が、勝敗を分けていたような印象でした。

出場した選手たちも、皆ひたむきにプレーしていましたが、どことなく雰囲気が重く、また自信を失いかけていようにも見られました。

もしベンチに、チームを盛り立てるベテラン選手が居てくれたら、雰囲気が変わるのではないか?次第にそのように感じるようになりました。

シーズンも中盤に差し掛かる頃、天皇杯1回戦のJ2徳島戦を迎えます。この頃チームは、村主前監督の解任直前で、非常に厳しい状況でした。

カップ戦らしいフレッシュな選手起用が見られ「小笠原満男の再来」との触れ込みで、J1鹿島からレンタル加入した下田選手と、第3GKの立ち位置だった田中選手が、先発に起用されました。

この試合は映像による放送・配信はなく、私は福島民友さんの実況ツイートに頼りました。新たな選手起用への期待感と、結果によっては村主監督(当時)が解任されてしまうのではないか(実際には、天皇杯直後のアウェー山形戦の敗戦後に解任)という危機感を合わせ持ちながら、戦況を見守りました。

試合は徳島が有利に進めつつも、田中選手の度重なるシュートストップもあり、0−0で推移していきます。テキスト実況からは、田中選手と下田選手の活躍する様子が伺えました。そして膠着状態のまま迎えた後半ロスタイム、いわきのスコアが1に更新され、思わず握っていた携帯を振り上げました。

しかし、その直後に徳島のスコアも1となり、結果的には1−2で敗退しました。感情が短時間で乱高下し、しばし呆然としてしまいました。

ただ、チームが降格圏に沈む中、新たな戦力が台頭してきたことをポジティブに感じ、田中、下田両選手の今後の活躍に期待を膨らませました。
 

・ホーム東京V戦、コロナ禍に見舞われたチームを救う


田村監督が再就任し、チームは復調します。

2023シーズン後半の復調には、様々な要因があったと思いますが、大きくは3つ。岩渕選手(現J2岡山)の復帰、下田選手の台頭、そして田中選手がベンチ入りするようになったことと考えます。

特に田中選手の、チームを鼓舞する声がけと温かい笑顔が、全体の雰囲気に与えた影響が大きいと感じました。

アウェー大宮戦、長期離脱から復帰した岩渕選手の復活ゴールを、その身を犠牲にしながら(足を踏まれたようです)祝福しています。もちろんそれだけではなく、試合前やハーフタイムでチームを引き締める様な声かけがありました。

チームはその後も好調を維持しますが、8月にメンバーが相次いで新型コロナに感染する危機に見舞われました。

GK、DFを中心に感染が拡大し、緊急的にユースチームのGK2名が選手登録される危機的な状況で、東京V戦を迎えました。

東京V戦当日、ゴールマウスには田中選手が立ちました。ユース選手が出場する可能性すら感じた中、正選手である田中選手が立ってくれた安堵感は、いまだに忘れられません。

正直、戦前の危機的状況もあり、先発してくれただけでも大感謝で、勝敗は仕方ないかなとも思いましたが、安定感のあるプレーを披露し、見事にクリーンシートを達成。上位チーム相手(東京Vはシーズンを3位で終え、プレーオフを勝ち上がりJ1昇格を果たした)に0−0の引き分け。勝ち点1をもぎ取ることができました。

・2024シーズン キャプテンに就任


2023シーズン中盤からの貢献と、最終盤で正GKの座を掴んだ姿を見て、2024も中心的な役割を担ってほしいと期待していました。

そのような中で、2024シーズンのチームキャプテンに就任。その後の活躍と、チームの躍進は、ご承知の通りです。

2ndGKとして立川選手を支え、キャプテンとしてチームを鼓舞し続けました。

また、カップ戦での出場時には見事なシュートストップを見せ、立川選手の刺激と励ましになったことと思います。特に天皇杯広島戦でのプレーは本当に見事でした。

今後も、そのシュートストップと献身的な姿勢で、チームに貢献してほしい。そう思っていたシーズン終盤、今シーズン限りでの現役引退が発表されました。

〇プロ生活13年 挑み続け、登り続け、キャリア最高到達点で自らの幕引き



ここで改めて、田中選手のプロキャリアを振り返ります。

暁星小・中・高校(大倉社長の後輩!)から日本体育大学へ進学後、AC長野パルセイロへ入団、2019シーズンに松本山雅FCへ移りますが、再び長野へ復帰。そして2022シーズンより、いわきF Cに加入し、3年目を迎えました。

出場試合数を見るに、正GKを務めたのは、長野での2シーズン程度と推測できます。

しかし、引退発表後、長野、山雅の公式SNSに多数のコメントが寄せられており、在籍時の存在感の大きさを伺えました。

また、キャリアの大半をJ3で過ごしていましたが、2023年にチームと共にJ2へ昇格。チーム内でも立ち位置を向上させ、3rdGKから、J2リーグ9位のチームにおけるキャプテン・2ndGKまで上り詰めました。

ご本人の座右の銘の通り、カテゴリーや立場に関わらず「愚直」に努力を重ねることで備えた実力と、その姿勢が、プロキャリアにおける最高到達点で、自らの決断による引退を可能にしたんだと思います。

○愚直な歩みが花と咲いた、美しき引退試合


現役最後となった、2024J2最終節のホーム群馬戦。田中選手は見事先発出場を果たします。

田村監督に選ばれての先発出場を知った時、それだけで涙が出そうになりました。

田村監督は、選手を非常にフェアに、かつシビアに評価する方だと感じています。

山下選手、加瀬選手、西川選手などの主力選手でも、課題が露見したり、良くないプレーが見られたりすれば、スタメン変更、あるいはメンバー外とすることも全く厭いません。

その田村監督が、引退試合だという温情だけで先発起用はしないはずです。もちろん考慮はあったと思いますが、先発に相応しい能力を有していなければ、群馬戦でチョイスされないはずです。

それだけに、先発に選ばれた時点で、本当に素晴らしいことです。

そして試合でも、終始安定したプレーで、無失点での勝利に貢献。セレモニー的な、試合終盤からの顔見せでの出場ではなく、最後まで高い競技力を維持し続け、戦力としてフル出場し、チームの勝利に貢献しての引退。

今年がラスト。そう決まっている中で、最後までパフォーマンスを維持し続け、最終戦での出場を掴み取り、活躍を見せてくれたこと。そしてそれを可能とした、日々の厳しいトレーニングに思いを馳せ、尊敬と感動を抱きました。

漠然と、引退に対して、契約が無くなる、競技力が低下するなどでやむなく迫られるという、後ろ向きなイメージがありました。またファンとしても、応援していた選手が去るという、悲しみが大きいのかと想像していました。

しかし、今回の田中選手の引退は、ポジティブなイメージに溢れていました。

試合後、セレモニーの中で「(暁星中サッカー部の元監督で、田中選手が中学生の頃に亡くなった)父の様な指導者になりたい。いわきFCで壁にぶつかる若い選手を見て、そのような選手を後押ししたいと感じた。そのために引退し、指導を一から勉強したい」と語りました。

引退を惜しまれ、引退試合でクリーンシートを達成するほどの競技力を有しつつも、自らキャリアに終止符を打ち、新たな道に歩み出す。

その姿に、プロとし培った確かな実力と、キャリアへの達成感、そして、一人の男として、新たな道へ踏み出す希望と意欲を感じました。

引退と別れを惜しむのではなく、これまでのキャリアを祝福するとともに、お父さんと同じ指導者を目指すという、その決断を応援し、背中を押したいと、心から思えました。

そして、現役最後の試合にして初めて、日体大の同級生、小柳選手との対戦が実現したとのことです。

この対戦は、今シーズンのいわきFCの最終戦がホーム群馬戦となり、そのうえ小柳選手が今シーズン途中でJ2秋田から群馬に移籍しなければ、実現し得ないものでした。

この巡り合わせは、プロ選手として、そして人として、誠実に生きてこなければ、間違いなく実現しなかったと感じます。フットボールの神が与えたギフトかもしれないとも感じました。

本当に奇跡的な巡り合わせです。凄くないですか?

私がこの事実を知ったのは試合後でしたが、もう一度感動して涙が出てしました。

またメインスタンドには、黄色いGKユニを着た、ご家族、ご友人が多数駆けつけていました。

1万円以上するユニフォームを買い揃え、東京からいわきまで来ることは、簡単ではありません。田中選手との関係性が、そうさせたんだと思います。

田中選手のプロとして「愚直」に挑み続けた13年間と、人としての誠実な生き様が、花となり咲いたような、素晴らしい、美しい引退試合でした。

そして、このような、フィクションを超えるような感動を体感できるのも、いわきFCというプロクラブが地元にあればこそだとも思います。

○田中選手への惜別


J 1や代表での華々しい活躍は無かったかもしれません。J通算でも、出場試合数は惜しくも100試合に届きませんでした。

しかし、努力を重ね、自身のキャリアにおける最高到達点まで(J29位)上り詰め、そこで自らの決断で引退できることは、プロフットボーラーとして尊敬すべき姿ですし、誰もができる引退の形では無いと思います。

また、以前の記事で、若者のチャレンジの地となっていることが嬉しいと書きましたが、プロキャリアの最後の舞台となれたことは、それと同じくらい意義深いことだと思います。

いわきで過ごしたプロ最後の3年間が、公私共に豊かな日々であったなら、ファンとして、ホームタウンの住民として、これほど嬉しいことはありません。

「愚直」に努力を重ねた、プロとしての生き様と、誠実な一人の男の生き様を見せていただきました。

磨き上げたシュートセーブに、ロッカールームでの熱い言葉に、仲間の活躍を祝福する笑顔に、多くの同僚やファンに尊敬される、献身的な姿勢に。そしてフィクションよりも美しい引退試合に。

田中謙吾選手、13年間のプロ生活、お疲れ様でした。

そして、自身のキャリアにおける最高到達点での、自らのご決断による引退に、心から祝意と敬意を表します。

新たな道でのご活躍、そしてご家族ともども今後とも健康で過ごされることを、心より御祈念申し上げます。

いつか、コーチとなった田中選手ご自身や、田中選手の教え子と、再びいわきでお会いできることを、楽しみにしています。

本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。

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