老舗酒屋の集大成「濱錦」。原点はある農家との出会い
こんばんは!&WINGのこあです。
私たちは3/13(日)まで、静岡県湖西市の老舗酒屋・大津屋さんとともにMakuakeにてクラウドファンディングに挑戦中。
現在、目標金額1000%を目指して走り続けています!(むしろ私たちの挑戦はこれからです!!!!)
すでに応援いただいたみなさん、本当にありがとうございます。
“「酒を卸して販売する」だけではない”、土屋社長の挑戦の姿を知っていただけたのではないでしょうか。
率直に、どんなことを感じましたか?
みなさんにとって、本プロジェクトを応援いただいたことが今度はみなさん自身の新たな一歩につながるのなら……こんなに嬉しいことはありません。
よろしければもう一度、Makuakeの本文や写真をご覧くださいね。
さて、Makuakeのページでは土屋社長の粋な姿をぎゅぎゅぎゅっと詰めました。
とはいえ書ききれなかったこともたくさんあり、泣く泣くカットしたエピソードがあります……。
例えば、ここ。
酒米農家さんとのエピソードを聞いた私は、土屋社長の情熱を感じたとともに「濱錦の物語はここから始まったのか……」と感慨深くなりました。
湖西の地酒づくりの原点を。
濱錦の原点を。
みなさんには知っていただきたいと思います。
逆境に燃える農家さん
土屋社長にとっては家族ぐるみの付き合いだった、ある農家さんがいました。
今から20年以上前、いつものごとく世間話に花を咲かせていると「もう普通の食農米を作るのは嫌だな……」と打ち明けられたそうです。
「なんだ、おもしろいことを言うじゃないか」と思った土屋社長は、試しにひとつの提案をしてみます。
「じゃあ、酒米作らない?」
すぐに「作ってみるか」と気持ちを新たにした農家さんは、食農米と同時に酒米を作りはじめました。濱錦で使用している酒米は山田錦ですが、当時は“五百万石”という品種から挑戦したそうです。
Makuakeのページでも紹介した通り、湖西は酒米づくりにおいて非常に厳しい環境でした。
遠州灘が近いことによる塩分濃度が高い土と、強い潮風・通称“からっ風”の影響を強く受けてしまうのです。(からっ風の強さはとてつもなく、私が遠州に住んでいたころは“自転車をこいでもこいでも進まない”状況は何度も経験しました。遠州あるある。)
心が折れてもおかしくない環境。
それでも酒米づくりを諦めなかったのは、農家さんが“逆境があると燃えるタイプ”だったから。むしろ腕の見せ所だと考えていたようです。
土屋社長とはかなり馬が合い、「俺は偏屈な人が好きだもんで、呑みに行ったときには盛り上がっちゃって」と教えてくださいました。笑
「酒ができたら責任をもって売る」
土屋社長は、農家さんと約束をしていました。「酒ができたら、責任をもって売る」と。
もちろん有言実行。大津屋で大量に仕入れつつ、ほかの酒屋さんにも勧めて売りはじめました。
ですが、日本酒は管理がむずかしいんです。
濱錦が届いたときにもぜひ気にしていただきたいのですが、日本酒は少しでも紫外線に触れると劣化していく繊細なお酒。
酒屋にとっては仕入れれば仕入れるほど、管理に手間暇がかかっていきます。丁寧に扱っているつもりでもつい酒を並べて、気づいたら太陽の光が当たってしまった、という酒屋さんは少なくなかったそうです。
ほかの店よりも多く仕入れていたにもかかわらず、当時土屋社長は新聞紙を2枚ずつ使い、1本1本丁寧に包んで保管をしていました。宣言通り「責任をもって売る」のを続けていたのです。
お酒は原料や製法へのこだわりはもちろん、管理にもこだわることで質が高い状態で私たちのもとに届けられています。
大津屋Makuakeプロジェクトは、土屋社長のこうした人情味あふれる姿を見た多くの遠州人が関わって進めてきました。土屋社長の行動の積み重ねがあったからこそ濱錦をみなさんにお届けできるんだと思うと、私も身が引き締まる思いです。
濱錦は、“MADE IN 遠州”。
土屋社長が濱錦を「集大成」と話す理由が、Makuakeのページを見る以上に伝わっていたら嬉しく思います。
そして、粋な土屋社長の魅力とともにお知り合いの方々へ「大津屋Makuakeプロジェクト」をオススメいただけると嬉しいです!!
👆大津屋Makuakeプロジェクト、詳細はこちら!
こぼれ話
余談ですが、昨年11月に社長へ取材したときには大津屋さんの歴史も伺っていました。大津屋の初代社長・土屋金作さんの印象的なエピソードがあったので、最後にみなさんへお伝えしたいと思います。