何年経っても思い出してしまうなぁ。
私が「若者のすべて」を聴いたのは、社会人になってからだった。多分、24,5の頃だと思う。
カウントダウンTVを一人リビングで見ながら受験勉強に励む高校3年生の私は「赤黄色の金木犀」を聴いて志村正彦を天才だと思い、出る曲出る曲みんなTSUTAYAで借りて、MDウォークマンで聴いていた。「茜色の夕日」まで。
「ロキノン系」の幼馴染みとはお互い実家に住みながら違う大学に進学し、彼女と同じ温度で音楽を愛する中学からの同級生は誰よりも頭が良かったのに大学には行かずに就職した。アジカンのアルバムをMDにしてくれた高校の同級生は、同じ大学に進学したけど学部が違って会わなくなった。B'zに心酔してかなり熱心にギターを弾いていて、隣の席だった私に天体観測のCDを突然貸してくれた同級生も、高校卒業と同時に誰とも連絡が取れなくなった(3年ほどして地元に戻ってきたが)
私を取り巻く人間関係は大学進学とともに大きく変わり、もともと音楽にそこまで興味のない私はBUMP OF CHICKENのみ追いかけ、それ以外は別にどうでもよく、年に一度程度顔をあわせる昔馴染みたちから勧められてはじめて新しい音楽を聴くか聴かないか、といったところだった。
何年か忘れたが、セットストックに誘われて行ったのは覚えている。バンプも出るよ、と言われたからついていった。藤くんが麦わら帽子をかぶっていて、「真っ赤な空を見ただろうか」を歌っていたのがとても良かった。フジファブリックのステージを見るためにエリアを移動しに走ったりもした。銀河のイントロに合わせて3人で踊りながら走った。今調べたらこのセットストックは2007年なのでこの4ヶ月後に「若者のすべて」はリリースされるのであるが、当時の私にリアルタイムで届いてはいない。
ところで2007年のセットストックすごい。夢のような顔ぶれである。
さて、「若者のすべて」を聴いたのはいつかというと多分2012年くらいだった。その間に志村正彦が亡くなったのはニュースで見た。この曲は何度も聴いたけど、一番きちんと聴いたのは、大学を出てすぐに就職した会社を6年勤めて辞め、有給を消化して2週間ほど東京で遊んでいたときの山手線の中でだ。それは2015年だった。
甲本ヒロトを生んだ街に生まれ、音楽室でHi-STANDARDをコピーするような中学生とともに育った私たちは、今でいう「エモい」をかなり正確に理解できていたと思う。そんな私たちは多分、それぞれが「若者のすべて」について思い出を持っていると思う。フジファブリックのリスナーかどうか、ということではなく。
この曲は、そういう曲なのではないかと思う。
フジファブリックは、そういうバンドなのではないかと思う。