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アラフォー、数珠を買う。

祖父を見送った。 だからと言って何も変わらない日々を送っているが、カラーバス効果なのかなんなのか谷川俊太郎も火野正平も亡くなり、なんだか「喪」感がすごい。折しも歳末である。ところで忘年会にあまりに行きたくなくて「本当は行きたくない」と同じ部署の同僚に漏らしていたのだがまさかこんなことになるとは。 東急ハンズで買った数珠は間に合わせ感がひどく、まぁ急な訃報なんて間に合わせの数珠のほうが相応しかったりするのでは思うのでそれはいいのだが、アラフォーだし、いずれみんな死ぬし、良い数

    • アラフォー、通夜に出る

       小学3年生のときに父方の祖父を亡くして以来、犬2匹、猫1匹を看取った以外に身内の冠婚葬祭が一切無かった。私は37歳。もはや祖父の葬儀の記憶はない。これまでに二桁を超える人数の友人の結婚式に参列し、身内に不幸のあった同僚や友人を悼んできたが、我が身には何も。やはりうちの家系は変だ。    母方の祖父は以前癌を患い、余命宣告を受けた。母は夫と娘を残し、「父と最期のときを過ごしたい」と新幹線で6時間かかる実家へ居を移した。20年前のことである。なお3年前に入院して(もはやこれまで

      • この道をゆく先に誰かが待ってる

        「あぁ、この人が、歩き続けてきた私を待っててくれた人なのか」と最近よく思う。 手作りのグラタンが入った耐熱皿を差し入れてくれる人は、私が本当に仕事で苦しかったときに、そばで支えてくれた人。 あぁ、少しこの人の役に立てたかも、と思う人は、昔の私と似たような苦しみの中にいる人。 漠然とやってみたい、と思っていた趣味に、手引きしてくれた人。 この人が私を待っていたのか、と思う。 あれもこれも、この人に会うためにやってたことだったのか。 ならよかったな、と思う。 「手が触れ合う

        • ブリキのケース

           店頭でCDを買う、ということをしたのは藤井風のファーストアルバムぶり。なんとなく、「店頭で」、「フィジカルを」買った方がいい気がしたから。  レジのお姉さんが、「ケースに傷が入りやすいので、上に物を重ねないようにとメーカーから指示されてます。」と言った。わかりました、と返事をしながら、(なぜそんな仕様のものを)と思った。  はっとした。  私は、レジのお姉さんが慎重に扱うその箱を、やはり慎重に受け取って、そっと抱えて、持ち帰った。

          気がつくと米津玄師

          15年くらいぼーーーーーーーーーーーっと見てたんですけど、もしかして、米津玄師、それこそ対談中に話に出てくる松任谷由美・中島みゆきに、肩を並べるような、桑田佳祐とか宇多田ヒカルとかみたいな、エポックメイキングな歌手に、とっくになっていたのか? そうなったとき、父や母にとってのゆーみんや中島みゆき、桑田佳祐が、私たちにとって宇多田ヒカルとか米津玄師とかになるということで、彼らの音楽が好きで、その音楽と共に生きていることは、なんというかいつかものすごく懐かしく思うんだろうなと思

          気がつくと米津玄師

          『雨の日の心理学』を読んだ

          「傷を介して、人と人は混じり合う。人間と人間を近づけるのは傷である。」(『雨の日の心理学』東畑開人) 敬愛する藤原基央は、このように歌っています。 「見つけたものは本物だよ 出会ったことは本当だよ 捨てるくらいなら持つからさ 貸してよ なるほどこれだけあれば当分お腹減らないな 一緒にここから離れよう」 「隠れてないで出てこいよ この部屋は大丈夫 鼓動の音は二つ 二つ以上も以下もない」 「傷つける代わりに同じだけ傷つこう 分かち合えるもんじゃないのなら二倍あればいい」 最近出

          『雨の日の心理学』を読んだ

          『ラストマイル』を観た

          2回。  1回目はストーリーの大筋は掴めたものの、ところどころ拾えていないということがわかっていたので。でも世の中には細かいところに気づく人がいて、(え?そうなん???もう一回観て確認したいな???)という気持ちになっています。 アンナチュラル、MIU404の大ファンなのですがそれはそれ、これはこれと思っているので、程よいシェアード感で良かったなと思った。毛利さんと刈谷さんめちゃくちゃ良かったですね。 印象に残ったシーンをいくつか。 ①「私はどっちだと思う?」 おそ

          『ラストマイル』を観た

          『傲慢と善良』

          ブクログに感想書きました。 6月くらいに読んだんだけど、やっと書けました。 (↑4月だった。以下、ブクログに書いた後で思い出したこと) これ、35歳の真実と40歳の架、というのがリアルだと思っている。 30と35だと、同じ話でも深刻さが全然変わってくるので。 だから本当は奈緒ちゃんと藤ヶ谷くんじゃなくて、黒木華ちゃんと大倉くん、とかのほうが良かったんだろうな〜〜。とか思ってしまう。いい大人がやってるからやばい(物語の重みが増す、の意)んですよこの話は。当たり前ですけど考え抜

          『傲慢と善良』

          縁のかたち

           数年前、実家の近所にスタバができた。普段そのスタバに行くことはない。避けているわけではなく、今住んでいる家から遠いのだ。 そんなスタバに、友達が行こうと言うので行った。 「同級生がいるかも。いてもわからんか、ハハハ」とか言いながら入ったら同級生がいた。コーヒーを飲みながら専門書を読む彼はあまり変わっていなかった。20年ぶりだった。  とはいっても、高校2年生のときに同じクラスだったというだけで、お互い目立つ方ではなかったため2回くらいしか話したことはないと思うし、お互い友達

          縁のかたち

          私が恋愛できない理由

          28歳のときに付き合うことになった26歳の男が、変だった。国立大学を出て、地元の優良企業に勤める普通の男だ。 早く結婚したいという考えを持つ彼は、私を早く両親に会わせたいと言い、話題はほぼ結婚後の暮らしについてだった。 (とりあえず付き合ってみるか)くらいのテンションで付き合っている私は、今一つ彼の話に乗り切れない。「そうだね」「そうなんだね」くらいの相槌しか打てない。 私はコーヒー中毒者なのだが、「妊娠したら飲めなくなっちゃうもんね」と彼が言ったとき、最初から感じていた違和

          私が恋愛できない理由

           盆か正月のどちらかに、長野県に住む母と、同じく長野県に住む祖父母に会いに行っている。なんとなくこの正月と、前の盆は行かなかったので、1年半ぶりに行く予定を立てている。かれこれ17年続く文化だ。  今回行く理由も別段無いが、何となく母に連絡を取ったら、なぜか7月末を打診された。珍しい。私は本当に察しが悪いので、2ヶ月前に「祖母(86歳)が入院している」という話を聞いたのを本気で忘れていた。  便りが無いのは良い便り、ということで………と思おうと思ったが、やはり7月末が引っかか

          家族の終わり方

           たまに、「最後に家族揃ってごちそうさまをしたのはいつだったか」ということを考える。  私は3人家族で、両親の仲がそこまで良くないことに物心ついたときには気づいていたように思う。かといって両親はそこまで仲が悪いということもなく、あまり友人もおらず近所付き合いもあまりない両親が仮面夫婦を演じる必要もなく、まぁどこの家庭もこんなもんでは?と思える程度の子ども時代を送った。  欲しいものは買ってもらえ、食べたいものを食べて見たいテレビを見て、家族で外食や旅行をした思い出も一つや二つ

          家族の終わり方

          何年経っても思い出してしまうなぁ。

           私が「若者のすべて」を聴いたのは、社会人になってからだった。多分、24,5の頃だと思う。  カウントダウンTVを一人リビングで見ながら受験勉強に励む高校3年生の私は「赤黄色の金木犀」を聴いて志村正彦を天才だと思い、出る曲出る曲みんなTSUTAYAで借りて、MDウォークマンで聴いていた。「茜色の夕日」まで。  「ロキノン系」の幼馴染みとはお互い実家に住みながら違う大学に進学し、彼女と同じ温度で音楽を愛する中学からの同級生は誰よりも頭が良かったのに大学には行かずに就職した。アジ

          何年経っても思い出してしまうなぁ。

          メメンとモリ

           私の勤める中学校には朝読書の時間があり、今朝本を忘れた私は自分のクラスの図書委員の選書である『メメンとモリ』を手に取った。中学生にそんなつもりはないだろうがこれを手に取る大人は多分疲れている。  これがよかった。10分間で読み切れたのだがじわりと心に残る。「メメントモリ」という言葉はミスチルきっかけで知った。なんとなくさみしくてこわい言葉だ。「生き物は別に楽しむために生きているわけじゃないからね」とメメンは言う。「思ってたのと違う」とびっくりするために人は生きている、と。

          メメンとモリ

          幸せの記憶③

           母は長く専業主婦だったが、私が大きくなった頃には小遣い稼ぎのためにパートに出るようになった。ジムにも通っていた。あまり家にいることが好きじゃなかったんだろう。まぁ夕方には帰ってくるので「寂しい思いをした」という話にはならない。  とはいえ、学校から帰ったときに家に母がいる日は嬉しかった。母は大体、寝室でごろごろと、図書館で借りてきた本を読んでいた。実家の寝室は風通しがよく、程よく田舎である我が家の窓からは夏の空が広く見えたものだった。その寝室には私が赤ちゃんのときに買われた

          幸せの記憶③

          別に能天気に笑えている

           私は終わった、と思ったのは2022年の12月だった。今は2024年の6月なので、別に終わっていない。  敬愛する藤原基央は「終わらせる勇気があるなら続きを選ぶ恐怖にも勝てる」と歌った。終わらせる勇気がなかった私であるが続きを選んだということだ。恐怖に勝てているとは言い難い。勝つとか負けるとか以前に戦わないようにしているというのが表現として正しい。  仕事に失敗した。  相対的には「別に?そんなもんじゃない?良いとは言わないし断罪する人はするでしょうけど、それがあなたの力量

          別に能天気に笑えている