勝利至上主義 – 沖縄県
高校生が部活動のあり方に声をあげました。
「私たちは人形ではない、理不尽な指導をやめてほしい。」など。
残念なことに、肝心の教育関係者は、公正な教育には関心がないようです。
1.問題提起
問題提起は、学校部活動研究部 @wu76jgS82zThc8u さんによる、Xでの、次のコメントです。
2.高校部活生メッセージ2 0 2 3
次の文は「高校部活生メッセージ2 0 2 3」です。
(参考)次は画像データ版です。
概要は次のYoutubeをご覧ください。
沖縄県のホームページは次のとおりです。
3.学校教育の根本問題
スポーツ競技は勝利主義です。
勝利主義とは、勝った者に対して多くの資源を配分するという思想です。
ここに教育上の欠陥があります。
勝利主義は、容易に、勝利至上主義に移行します。
移行することの方が当事者にとって理にかなった行動なのです。
勝者は自画自賛します。敗者も勝者を称えます。
勝利主義を徹底し、至上主義に移行する方が、(少なくとも勝者の立場から見た)組織は安定します。勝者は、その厳しい状況の中で勝ち抜いたのですから、英雄度が高められていきます。
仮に敗者が勝利主義に批判をするようになった場合、体育会系は壊れてしまいます。
このため、体育会系としては、「考えさせない」ことを関係者に徹底させます。もちろん、そのような行為は批判されますので、批判を避けるためスポーツ技能の範囲に絞って「考えさせる」のです。これによってアリバイが成立し、外部に対して、「考えさせる教育をしています」と正々堂々と言えるのです。
勝利主義と勝利至上主義との境界があいまいです。
境界があいまいなので、勝利至上主義を否定することは、勝利主義を否定することにつながっていきます。
勝利主義は体育会系の本分であるため、それと連続している勝利至上主義も堅持することになります。
勝利主義が脅かされないようにするため、一定程度まで、勝利至上主義の施策を実施しておく必要があります。どこぞの国のように、本国が侵されないようにするため、周辺国を緩衝領域にするのと同じ考え方です。
このようなスポーツ競技を教育の中に組み込んでいることに根本問題があるのです。
4.沖縄県高等学校体育連盟
2023年2月に「メッセージ2023」があったにも関わらず、それ以降も、沖縄県高等学校体育連盟は勝利至上主義でした。
県高体連は勝利至上主義に基づき高等学校の総合体育大会における成績を序列化し「順位」を公表しています。
何をもって「至上」なのかは論者によって様々ですが、意味のない序列を作成・公表し、ことさら上位の者を顕彰する行為は、至上主義です。
令和5年度 沖縄県高等学校 総合体育大会 学校別得点及び順位
(1)得点順位 上位10校
令和5(2023)年度
令和4(2022)年度
令和3(2021)年度
令和2(2020)年度
令和元(2019)年度
(2)得点順位 下位10校
令和5(2023)年度
令和4(2022)年度
令和3(2021)年度
令和2(2020)年度
令和元(2019)年度
(3)順位を決める要因
コザ高校は毎年1位です。
通信制高校や定時制高校や高等支援学校は毎年下位です。
上記のような時系列による状況証拠があれば順位が決まる主な原因を推測できるでしょう。
順位が決まる主な原因は、学校の設置目的や教育方針です。生徒の努力だけではありません。
沖縄県高等学校体育連盟がやっていることは、学校の設置目的や教育方針に対して「順位」を付けていることと同じなのです。
通信制高校や定時制高校や高等支援学校は価値が低い、と公言しているのと同じです。
教育的意義というものは学習者に対するものです。「順位」は学校に対するものです。「順位」には教育的意義は無いのです。
子どもを励ますというよりは、校長を喜ばせるために順位付けをやっているのです。
このような行為は不当です。
コザ高校の「総合得点」は、毎年150点以上です。
これに対して、最下位の得点は、0点や1点です。
このような得点を付け公表することは不当です。
勝利者を絶対視し徹底的に称える。これが勝利至上主義です。高体連にとって、称えるための理屈は何であっても良いのです。
「沖縄県高等学校体育連盟」という、いかにも、教育活動やってます感のある名称の組織が、な~んにも教育的意義のないことを毎年やらかしているのです。
では、「学校別順位表」を削除すれば良いのでしょうか。
問題の本質は、そこにはありません。
体育会系は、勝利主義であり、公正な教育のあり方について、何も考えていない、というところに問題があるのです。
公正な教育のあり方について何も考えていない連中の下で学ぼうとしても、公正さを学べないし、苦痛を味わうだけですし、無意味な教育を再生産するだけです。
体育会系から学ぶことができるのは、元気なアイサツです。
体育会系は、議論をしません、民主主義ではありません、公正ではありません。教育的意義があるかのように見せておきながら、民主主義を担う市民を育てようとはしていません。
5.市民による社会改革
高校生の知性の高さに感心します。
「メッセージ2023」を創作し公表したことはとても素晴らしいです。
高校生は、このメッセージによって、社会改革を試みたのです。
学校のあり方を改善することも、重要な社会改革なのです。
政治家への陳情という方法ではなく、分かり易い自分の言葉によるメッセージを公表したのが良いのです。このような活動は、市民による社会改革活動として高く評価できます。
でも、高校生は勘違いをしている部分があります。
部活動からなんでも学べるかのように美化している点です。
美化すると、不都合な部分に気が付きにくくなります。
例えば、高体連が示している学校の「順位」について、「変だな」とは思わなくなるのではないでしょうか。
また、「ブカツは私たちのモノ」という認識は、現状では、客観的に見て間違っています。「ブカツは、それを実効支配している体育会系のモノ」という方が実態に近いのではないでしょうか。
体育会系の背後にはスポーツ業界の業者がいます。業者は商材を求めて教育界隈に出入りしています。そのためにカネやヒトが動きます。
この社会構造を変革することは困難だと思います。
ブカツの主導権を生徒に移譲することは、スポーツ業界の既得権を損ねることになります。
体育会系の本分は勝利主義ですから、組織などを乗っ取ることを厭いませんし、放しません。50万人もの多様な市民が集う都市・東大阪市はラグビー愛好者に乗っ取られ「ラグビーのまち」に仕立て上げられてしまったのです。
6.(参考)関連記事
(参考)
以上