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校則に関する議論のゆくえ
校則に関する昨今の議論は、自律した生徒を対象にしています。
教育困難校では、校則は、教材として重要な役割を果たしています。
教育困難校をも視野に入れた議論が必要ではないでしょうか。
1.問題意識
2021年9月 #みらいの校則 について、次の呼びかけがありました。
「学校にこんな校則をつくってみたい」「こんなルールの学校があったらすてき」そんなワクワクする校則のアイデアをnoteに投稿してみませんか?
この呼びかけの期待に呼応する優良記事がいくつか投稿されました。
そのなかで、校則に関する議論のあり方・本質が問われる(と、私が感じる)、次の投稿がありました。
うたこさんの記事を、私なりに超・意訳した趣旨は次のとおりです。
昨今の校則に関する議論は、進学校など、自律した生徒が通っている学校に関して行われています。
教育困難校においては、校則は、社会に出る・就職に繋がる大事な教材です。
進学校と教育困難校間の問題意識がズレているため、教育困難校においては、昨今の校則に関する議論には、置いてきぼり感を感じます。
最後の「置いてきぼり感」は、私の脚色です(笑)。正確には、リンク先を熟読してください。
2.校則のあり方に関する各種取組み
本題に入る前に、他の投稿を読んで感じたことを記しておきます。
(1)模範的事例
模範的なのは、次の記事です。
生徒会会長の力強い呼びかけでスタートした「ルールメイキングプロジェクト」。その中心として活動しているのが、「生徒会+有志メンバー」20人弱の私たちルールメイカーです。
ルールメイカーが誕生した時点で、もはや、完成しちゃっている、と感じるのは、果たして私だけだろうか。
(2)(議論ではなく)同調圧力で流れる実情
上記模範事例のように合理的・科学的に議論が交わされることがありますが、中には、同調圧力で流されてしまう場合もあるようです。
「靴下の長さを自由にしてほしいです。」と校則の変更を訴える3年女子に対して、真面目な男子生徒が一言
「そういうのって、ちゃんとルールを守れる人が言わないと賛成されないんじゃない。俺は靴下の長さなんてどうでもいいと思うけど、秩序を守れる私たちが言うから少し校則許してよって形にしないと、ただのわがままになるんじゃないの。」
意見内容への反論ではなく、「あなたには意見を言う資格は無い」という趣旨で議論の相手(3年女子)を黙らせています。
これは、ネガティブな側面ではありますが、「校則議論あるある」として貴重な知っておくべき実情ですね。
(3)後輩はどうするのか
仮に、校則を改定したとしましょう。改定に携わった生徒・先生は、学びがあるかもしれません。
では、その改定版を受け継いだ、後輩はどのようになるのでしょうか。「改定する動きがありました」という先輩の伝説に「ふ~ん」で終わるでしょう。
校則に関する議論の意義は、実際に校則を変更することではなく、変更をも視野にいれて、社会のあり方に関する意識を高めることにあると思います。なので、校則の変更に至らなかったとしても、学びはあります。
(4)思考実験 - 「中学生らしい」とは何か
「中学生らしい」を直接的に考えると、分かりにくいので、思考実験をすれば良いかもしれません。
●仮に、いままで中学校なるものがこの世に無く、新規に中学校を生成することになった場合、「中学生らしさ」とは何かと問うても、回答は出ないでしょう。今まで、無かったのですから。
●仮に、中学校のことを全く知らない小学校6年生に、「中学生らしさ」を問うても、回答はできないかもしれません。知らないのですから。
●ピカピカの中学校一年生であれば、上級生を観察して、「中学生らしさ」を回答するでしょう。
「らしさ」とは、「~のようなもの」であり、既にこの世に存在して、それをイメージすることができる場合に、それと同じようなもの、を言います。
「中学生らしい」とは、「既に存在する中学生と同様のもの」を指します。
「中学生らしい」校則を目指す場合、結局、今まで通りで良い、ということになります(ここで笑う)。
3.校則の本質
さて、ここからが、本題です。
校則の本質は、高校教師うたこさんが上記リンク先の記事で指摘しています。高名な学者先生ではなく、教育困難校の現役教師が述べているところが注目すべき点ですね。
その一部分の引用です。
企業は「きちんとした生徒」を採用したいと考えますし、生徒に希望する企業に就職してほしいと考える教員は、できるだけ生徒を「望まれる人材」として社会に送り出したいと考えるのです。
つまり、就職のため校則はある、ってことですね。
いっていることは非進学校の教員も副教材を作る企業も、採用担当も大して変わらないんです
企業側でも、校則を守るような人材を求めているということですね。
生徒は、企業が求める人材像を知らないでしょうから、学校で校則を守らせることにより、採用されやすい人材を養成するということです。
4.経緯
昭和の時代は、中卒で就職する生徒はいましたし、進学校であっても、高卒で就職する生徒はいました。
なので、当時は、高校の進学校であっても、校則を設け、就職のため、身だしなみを整えさせるということは、教育上合理的でした。
時代が進み、大学全入時代になると、卒業後、就職する者は激減します。
就職をしないのですから、学校は、企業の採用担当者との関係が疎遠になります。
中学校や進学校では、身だしなみについて、トヤカク言う必要性が無くなったのです。
そして、形骸化した(就職に役に立つ)校則が残った、ということです。
中学校や進学校では校則は形骸化しているのですから、その存在に対して、意見が出てくるのは、自然の流れです。
教育困難校では卒業と同時に就職する生徒がいるため、校則を設け、順守させ、身だしなみを整えさせることは、教育上合理性があります。
5.校則に関する議論のあり方
教育上、合理性・必要性があるため、校則を利活用している教育困難校があるのですから、校則に関する議論には、教育困難校も視野に入れるべきだと思います。
公共機関である経済産業省の「未来の教室」実証事業として採択されているのであれば、なおさらです。
教育困難校こそ、社会全体で支えなければならないのですから、むしろ、そういった学校を中心に議論すべきではないでしょうか。
校則の必要性やあり方を考える場合、就職をどうするのか、企業の採用担当者はどう考えているのか、ってことが思考材料・説明材料になると思います。
中学校や進学校では、多くの生徒は就職をしないので、校則は形骸化しているのですが、そこをどう考えるのかってことだろうと思います。
#みらいの校則 のあり方は、学校の態様によって様々だ、ということです。
以上
(参考)クローズアップ現代+ 「コロナ禍の高校生 ~ルポ“課題集中校”~」2021年2月3日(水)