身体に障害がある人が身体的にがんばる、そしてそれに感動する。
パラリンピック。障害者スポーツ。
これにどのような意義があるのか。
この記事では、障害者スポーツを題材にして、障害者のあり方を考えます。
法律や計画における障害者の位置づけ
障害者について、国が定めた取り決めには、下記の2種類があります。各々は、日常を重視するのか、非日常を重視するのか、という、根本的な考え方が異なっています。
(1)障害者総合支援法
障害者に関する法律として、厚生労働省が所管する「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(障害者総合支援法)」(旧障害者自立支援法)があります。
基本理念は次のとおりです。
目的は、「日常生活・社会生活の支援が、共生社会を実現する」です。
「日常」を重視しています。スポーツのような非日常ではありません。
当然、これは、一過性ではありません。合理的です。
(2)スポーツ基本計画(推進計画)
スポーツ庁を筆頭として策定されているスポーツ基本計画(推進計画)では、「楽しさ」「感動」といった情緒的な用語が多用され、主観を重んじています。
本来であれば、主観をどのようにするのか、あるべきかは、国民個人の内面の自由です。国家によって、個人の内面の方向・あり方が示されるのは不当です。
人類の普遍的な価値(例えば、人権の尊重)の推進であれば、国家が、個人の内心へ干渉することもあります。
しかし、スポーツは人類の普遍的な価値ではありません。
基本計画では、スポーツを文化であるとしています。文化であると言うことによって、人類の普遍的な価値であるかのように演出をしています。
障害は、日常生活において生じるのですから、障害者問題をスポーツで解決できないのは明らかです。
機運を醸成し、個人の主観・内面を操作し、スポーツが解決するかのような錯覚をさせるのがスポーツ庁の思惑です。
このような政策には意見を言わなければなりません。スポーツ庁への意見は次に書きました。
第3次大阪府スポーツ推進計画
大阪府は、2022年3月、第3次大阪府スポーツ推進計画を策定しました。そこでの、障害者に関する記述(一部)は次のとおりです。
第3次大阪府スポーツ推進計画の一部
第3章 施策の具体的方向性 1の柱 誰もが地域で楽しむスポーツ・健康づくり 2 障がい者スポーツの推進 21ページ
(参考)パブコメに付された計画(案)(2022年2月)の一部
第3章 施策の具体的方向性 1の柱 誰もが地域で楽しむスポーツ・健康づくり 2 障がい者スポーツの推進 21ページ
障害者スポーツへの意見
私は、計画(案)について、次のとおり、パブコメで意見を提出しました。公開されている大阪府からの回答では、意見の文言が省略されていますので、ここに全文を載せておきます。
上記の「一部」の箇所を削除するよう求めました。理由は次の1から4までです。
大阪府からの回答
上記の私の意見に対する、大阪府からの回答は次のとおりでした。
大阪府の回答への私の意見
「障がい者スポーツの関心を高め、理解啓発に取組み、共生社会をめざす」ということは、ありえません。というのが私の意見です。
スポーツはスポーツの世界だけの話であって、それをやったところで、日常の共生社会の実現には至らない、ということです。
遠回りをして、実現するのかもしれませんが、そんな手間暇があるのであれば、直接、障害の除去に努めるべきです。
「計画がめざすスポーツ像や基本理念等について、正確な理解」
「正確な」と書くことによって、大阪府が正しく、私の意見が誤っているということを演出しています。
「いただいた内容につきましては、ご意見として承る」
つまり、大阪府は、私の意見を受け入れない、ということです。
何故、スポーツ基本計画(推進計画)では、「楽しむ」とか「感動」などの主観・情緒に関する用語が多いのでしょうか?
それは、スポーツ愛好者が、広告・宣伝に乗り易いためだと思われます。
スポーツは、国家が政策として、国民の内心に訴えて推し進めているのですから、プロパガンダと言えます。
公共機関が国民の歓心を買い、内心を操作する行為は、たとえ趣味・娯楽であるスポーツ分野であっても、行ってはいけません。
行ってはいけない理由を下記の記事に書きましたので、読んで頂ければ幸いです。
パラリンピックへの意見は次の記事に書きましたので、読んで頂ければ幸いです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
以上
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