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対岸の誰か
There is always someone on the other side.
今朝の瞑想アプリで登場した言葉です。
その言葉を聞いた瞬間、何かが自分の胸の中ではじけました。はじけた中身が目にあふれてきました。
ここ数日、とても重苦しい時間を過ごしていました。理由はいろいろあります。
水中で息もできずもがき続けているのに、成長を実感できない。
思い通りに物事が進まない。
自分の善意が届かない。
逢いたい人に逢えない。
取り戻すことのできない過去の時間に囚われる。
自分の力が及ばない悲劇的なできごとで心をかき乱される。
こんなとき、文字通り立ち止まってみることは効果的です。
まず、体の動きを止めるのです。とにかく、一ミリも動かないつもりで静かに座り目を閉じます。
心が千々に乱れるときは、心を無理に静めようとするのではなく、コントロールしやすい体の動きを止めるのです。
しばらくそうしていると、風で波立っていた湖面がだんだん平坦になっていくように心も落ち着いてきます。
静かな自然が身近にあれば、そこに行ってみるのもいいでしょう。それが難しい場合は、創造力をフル活用します。
今朝は、新緑が美しい早朝の湖畔に自分が座っている絵を思い浮かべました。
丁度そのとき、これ以上ない最高のタイミングで冒頭の言葉が登場したのです。
There is always someone on the other side.
私を瞬時に包んだのは、対岸にいつも誰かがいて自分を見守ってくれているという感覚でした。
それは、正しいとか間違っているとか、その相手が見えているとかいないとかに関係なく、ただ、圧倒的な事実として、私の中にストンと入ってきました。
その感覚のなんと心地いいことか。ただただ心から感謝の気持ちがあふれてきました。
対岸の誰かは、自分の家族や友人やペットかも知れません。亡くなった人達かも知れません。
この言葉の解釈は人それぞれでいいと思います。大事なことは、目に見えるものだけが現実ではないということを知ることだと思うのです。
私は、既に他界した父や母が対岸に座ってこちらを見つめてくれているような気持ちがしました。それぞれの想いがそれぞれの岸から湖の中心に向かって流れ出て、静かに湖面を揺らしている。そんなイメージが浮かんで、乾いて荒れていた心が潤って、とても暖かい気持ちで目を開いたのでした。
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