「52ヘルツのクジラたち」
本を読んで、こんなにも胸が痛く息苦しくなって、気づけば、その痛みが押し出されるように目からあふれ出てくる経験をしたのは久しぶりです。
今まさに映画館でも上映されているこの作品は、虐待という重いテーマを扱っています。
読んでいる間は空気が薄くなるような感覚があって、何度も本を閉じました。読むこと自体が苦しいのに、読んでいない間も、その世界がずっと頭から離れませんでした。
特に最後の三十ページ弱は、涙に流されるように読みました。
52ヘルツのクジラとは、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけの、この世で一番孤独だと言われているクジラのことです。
この物語には、この52ヘルツのクジラのように孤独な人たちが登場します。
物語の中心になるのは、母とその家族に虐待され、人生を搾取されてきた女性、貴瑚(通称キナコ)と、母に虐待され声を出せなくなった「ムシ」と呼ばれる少年です。
この二人の凄惨な半生をここでは敢えて書きません。
52ヘルツのクジラのごとく、深い絶望と孤独を生きてきた二人が出会い、お互いを支え合うまでになっていくのがこの物語です。
虐待は決して許されることではありません。
それをはっきりさせた上で、虐待をしてしまう側にも、それなりの事情があるということを忘れてはいけないと思うのです。
虐待をしている当事者が最も悪いのは当然としても、それを見て見ぬふりをしている周りの人たちにも責任があるということを認識する必要があります。
たとえば、母親が子どもを虐待している場合、そうしてしまう裏には、母親自身の苦しみがあり、それをだれも助けようとしなかったことが、子どもへの虐待につながっていることだってあるのです。
この世に絶対悪というものは存在していないと私は思います。
全ては、いろんな要素が影響しあって、たまたま噴出先が一人の人間に集約されて、その人間が絶対的悪人のようになってしまうだけだと思うのです。
この物語は、海底から見上げた海面に揺れる太陽の光の筋のような希望を見せてくれます。
52ヘルツの周波数に耳を傾けようとしてくれる、あるいは、感じ取ろうとしてくれる人たちは、必ずいるのだという救いの光があります。
人はみないろんな傷を抱えて生きています。その傷が大きく深すぎると、防衛本能が働いて、そのことに鈍感にならざるを得ません。
鈍感になったことで、その泥沼のような苦しみから抜け出る自力を発揮できなくなってしまうことがあるのです。
だから決して、虐待されている側の人たちにとやかく言うべきではありません。
するべきは、目と耳で得た情報で心を遣うこと。
特に、耳を傾けること。
真摯に話を聴くこと。
その先に初めて、救える光が存在していると信じています。
注)私は、この本に登場する虐待の描写を読むとき、かなり苦しくなりました。感情移入し過ぎたのかも知れません。ただ、人によっては苦しくなる可能性があることを分かった上で、ご自分が元気や心の余裕があるときに読むことをお薦めします。